最初期の流入医学書

念願の論集『コンスタンティヌス・アフリカヌスとアリー・イブン・アルアッバース・アルマグージー – パンテグニと関連テキスト』(Constantine the African and ‘Ali Ibn Al-‘Abbas Al-Magusi: The Pantegni and Related Texts, ed. Charles Burnett & Danielle Jacquart, Brill, 1994) を入手し読み始めているところ。サレルノの医学的伝統の礎石とも言われる11世紀のコンスタンティヌス・アフリカヌスはチュニジア生まれで、とりわけ著書『Pantegni(パンテグニ:完全なる技)』が有名なのだけれど、実はこれがアリー・イブン・アルアッバース・アルマグージー(10世紀)の『キターブ・カーミル・アッシナ・アッティビーヤ(完全なる医学の書)』の翻案であると言われてきた。とはいえ事情は複雑で、前半の理論編は照合箇所が多々見られるらしいのだけれど、後半の実践編になると、『パンテグニ』は章立て以外、様々な他の文献の寄せ集めのようになってくるらしい。この後半はどうも段階的に増補されていったようで、コンスタンティヌスの死後においても完全に至っていないのではないかという(以上、チャールズ・バーネット&ダニエル・ジャカールの序文から)。そんなわけで同論集では、その書の成立や背景、文脈など、様々な問題が研究の対象となっている。個別の論考はいろいろ面白そうなので、これもまた逐次メモしていくことにしよう。

というわけでまず今回は、フランシス・ニュートン「コンスタンティヌス・アフリカヌスとモンテ・カッシーノ:『イサゴーゲー』の新規事項とテキスト」(Constantine the African and Monte Cassino: New Elements and the Text of the ISAGOGE)という論考。「イサゴーゲー」というのは、フナイン・イブン・イスハークの小著書のラテン語訳(11世紀後半)で、西欧に流入した初期のアラビア医学書の一つ。古い写本にはパリのものとモンテ・カッシーノのものがあり、後者のほうがはるかに厳密な校正を経ているという。この論考は、とくに後者の文献学的な成立年代を推定し、同時にモンテ・カッシーノの年代記からコンスタンティヌス・アフリカヌスの滞在時期を割り出し、そのイサゴーゲーの翻訳にコンスタンティヌス・アフリカヌス自身が関与した可能性を検討するというもの。文献学の精緻さと推論の大胆さを併せ持った、ちょっと面白い「読ませる」論考だ。なによりも面白いのが、パリ写本の粗雑ぶりを指摘している箇所。普通なら章の最初におかれる飾り文字がそのまま欠けていたり(しかも複数箇所)、筆跡として似てくるaとtとがごっちゃになっていたりするのだそうだ。11世紀末頃の写本とされているけれど、これを写した写字生が本文をちゃんと読んでいないことは明らかで、逆に当時の筆写の実態というのに興味が湧いてくる(笑)。