レオンハルト追悼の一日

このところ古楽関連の話はほとんど書いていないけれど、レオンハルト死去の報に、なにやら心動かされるものがあって、今日は久々に少しだけ記しておきたいと思う。この報、個人的にはツィッター上のタイムラインで知った(思想史家のパオロ・ロッシ死去の報もあったけれど、こう言ってはなんだがちょっと霞んでしまった感も……失礼)。昨年12月のパリでの公演が最後になったという。この模様はYouTubeに掲載されている。音は良くないし、合法の録画なのかどうかも怪しいが、今となっては貴重な記録ではある(http://www.youtube.com/playlist?list=PLB368EB6F012CBC7B)。それにしてもこの若々しい演奏はどうだろう。晩年にしてこの端正さ、瑞々しさ、軽快さ。思わずこちらも姿勢を正したくなるほどだ(苦笑)。思えばレオンハルトはあまりに大御所で、もっぱら録音でしか知らないものの、いつもどこか超然とした佇まいを感じさせる文字通りの巨星だった。聴衆に媚びることなどなく、たえず別の次元を向いている印象。たとえばnaxosライブラリーにある2003年録音のゴルトベルク(http://ml.naxos.jp/album/ATM-CD-1281)などを聴いても、昨今の速弾き重視の演奏に端から「否」を突きつけているかのようで、ゴルトベルクはこう弾けと曲が言っているではないか、とでも言わんばかりの演奏に思えてしまう。一音一音が実に明確、それでいて全体は時に奔流のごとく、時に透明感がいや増した大河のごとく押し寄せる、みたいな。France Musiqueの17日の放送(http://sites.radiofrance.fr/francemusique/em/concert-soir/emission.php?e_id=80000056&d_id=425005253)は追悼として1984年の演奏を流していたけれど、これを聴いてもそのスタンスはまったく変わっていないかに思える。この変わらない一貫性。そこが凄い。

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余談だが、このところ個人的に古楽との聴き手としての付き合い方が少し変化している。以前はいくらデータで安く買えるような場合でも手元にCDを持っておきたいクチだったのが、一昨年の後半くらいから、naxosライブラリやYouTubeなどのストリーム系のサービスに重点がシフトしてきた。震災以降はとくにその傾向に拍車がかかった気がする。単にケチ臭くなってきたのか、クラウド系の流行に乗っかろうとしているのか、それともモノとして手元に置いておくことにある種のはかなさ・無情を感じているのか……。消費行動の根っ子のところ、無意識のレベルでなんらかの変化が生じているのかもしれない(?)。とはいえ、たとえばオペラ上演のDVDなどはいまだに重宝してもいる。そのあたり、また少しづつ記していくのも良いかなとも思い始めているのだけれど……。