12世紀の医学の位置づけ

前回のバーネットの論考で指摘されていることだけれど、『パンテグニ』でも『キターブ・カーミル』でも、動物的精気が魂かという問題に触れた箇所の末尾は、「そうした議論はここでの意図にはそぐわず、哲学に属することなので、ここでは立ち入らないことにしよう」と結んでいる。もとになった『キターブ・カーミル』が医学をそれ自体で確固たる学知として規定しようとしている、という話が先の別の論考にあったけれど、そのあたりの物言いにはもしかすると、哲学に対して医学を別個のものとして確立しようというような意図があるのかもしれない……(?)。実際のところ12世紀ごろの医学の位置づけというのは確かに曖昧な印象を受けたりもする。というわけで復習。

サン=ヴィクトルのフーゴー(12世紀前半)の『ディダスカリコン』(テキスト:http://freespace.virgin.net/angus.graham/Hugh.htm)では、2巻に哲学区分の話があり、神学や数学に続いて算術、音楽、幾何学、天文学が取り上げられているけれど、医学はというとそれらとは別扱いになっている。医学は手工芸の一つに位置づけられ、織物、武装、航海術、農業、狩り、演劇などに混じって挙げられている。一方、グンディサリヌス(12世紀半ば過ぎ)『哲学区分論』(前にも取り上げた:http://www.medieviste.org/?p=3365)では、自然学・数学・神学を理論の学としていて、医学は自然学の下位区分として位置づけられている。数学の下位区分には算術、音楽、幾何学、光学、占星術、天文学、重量論、性格論などが来るので、医学はそれらと同列に並ぶ存在とされている感じだ。これってつまり、フーゴーは医学をいくぶん低く見ているのに対して、グンディサリヌスはそれを自然学に組み込んでいるということなのかしら。もしそうだとすると、その価値観の変化はアラビア医学の本格流入と関係がありそうな気もする……なにしろグンディサリヌスはそちら方面の翻訳者でもあったわけだし。いずれにせよ『パンテグニ』は11世紀末までには成立していたはずで、そこでの医学の地位向上の意識が西欧に時間をかけて伝わり、両者の差になった、なんて考えるとちょっと面白い。もちろんこれはこれで要検証(笑)。

↓wikipedia(fr)から、『De arca morali(方舟の道徳について)』の写本(13世紀)の細密画に描かれたサン=ヴィクトルのフーゴー