ビーバー、バッハ

うーむ、やっぱりビーバーのヴァイオリン曲はいいなあ……。今回は「ロザリオのソナタ」ではなく、『宗教的・世俗的弦楽曲集』(H.I.Biber: Fidicinium Sacro Profanum / David Plantier, Les Plaisirs du Parnasse)という、同名の曲集からソナタ12曲を収めた一枚。演奏はLes Plaisirs du Parnasseというアンサンブル。ダヴィッド・プランティエがヴァイオリン&指揮で、アーチリュートを担当するのは以前ザンボーニのCDとかが良かったリュート奏者の野入志津子。端麗な演奏のビーバー。個人的にビーバーの音楽は、気合いを入れて聴くときはもちろん、BGM的に聴き流すときもなぜか可変的に良くマッチする気がする(笑)。もちろん旋律的に気分が盛り上がったりするのだけれどね。

さらにもう一つ。こちらはバッハもの。エンリコ・ガッティとアンサンブル・アウローラによる『フルート協奏曲集』。中身はまず、イタリアの音楽学者ジメイによって復元されたフルート協奏曲ロ短調が世界初録音。ま、世界初録音も復元ものは、まあそれほどありがたみがあるわけではないけれど(失礼)、それに続くブランデンブルク協奏曲5番の初稿版だという三重奏協奏曲ニ長調、管弦組曲二番ロ短調などがなかなか秀逸。落ち着いた雰囲気で、耳に馴染む感じ。それもそのはずというべきか、どれもギャラント様式のものという選曲なのだそうで。
J.S.Bach: Flute Concertos / Marcello Gatti, Enrico Gatti, Ensemble Aurora

インペトゥス理論も……

引き続き、ザクセンのアルベルトについてのザルノウスキー本。これに、中世版の慣性の法則ことインペトゥス理論の系譜が簡潔にまとまっている。ま、そういうまとめは他の著者たちもやっているだろうけれど、これはなかなか簡潔でよいかも。インペトゥス理論はビュリダンで有名だけれど、アルベルトもこれを継承している。もともと天空の運動から着想を得たものと言われる同理論だけれども、より直接的な説明動機は、たとえば石を投げた場合に、手を離れた後も石が運動し続けるのはどうしてなのかという問題にある。アリストテレス以降、中世に受け継がれたのは、石のまわりの空気が媒体として関係しているという説(早い動きで真空が作られそうになるのを空気が回り込んで回避するために、結果的に石が押される、という説と、空気にも手の力が及び、それが繋がる形で物体を押す、という説に分かれるようだけれど)。ピロポノスなどが、投げられる物体の中に運動維持の原理があるという説を唱えるも、それは中世には受け継がれず、やっとルネサンスになって導入されるのだそうで、中世では、マルキアのフランシスクスの『命題集注解』を嚆矢とし、ビュリダンがそれを前面に出す形で、物体に内在する力が論じられるようになるのだという(あれ?記憶違いでなければロバート・キルウォードビーあたりも触れているんじゃなかったっけ?)。いずれにしても、ここでは触れないけれど、ビュリダン以前の幾人かの論者の立場もまとめられていて同書の説明はなかなか有益。これをベースに、メルマガあたりでインペトゥス理論前史を巡るのもよいかも、なんて(笑)。

不況風か……

先日ヤボ用で新宿に。で、用事のついでに久々にヨドバシカメラなどを覗いたのだけれど、以前に比べてとても客数が少なかった。平日の午前中、お昼近くとはいえ、少し前はもうちょっと人がいたような気がするのだが……。これも景気後退の影響か……?というか、どうもこのところめぼしいものがないからねえ。ひところ話題になっていたネットブックのコーナーも、なんだかどれも似たり寄ったりで意外にぱっとしない(苦笑)。デザイン的にはVAIO Type Pがちょっとだけいい感じだったけれどね。あと、富士通の高速スキャナ、ScanSnapとかが、ちょっと売れ筋な一画を占めていたが、やはり周辺機器で盛り上がるっていうわけにはちょっといかないか……(苦笑)。

話は変わるけれど、景気後退のあおりといえば、ベルギーのバロックオーケストラ、ラ・プティット・バンドが、政府の助成金を打ち切られそうになっているという。助成金がなくなると存続も危ぶまれるということで、今、ベルギー政府の文化相宛の嘆願の署名集めもなされている(こちらのページ)。うーん、先のトン・コープマンの招聘もとの破産といい、文化的な活動にも徐々に経済危機の影響が出始めているみたいだ。

セドゥリウス・スコトゥス……

以前に取り上げたグーゲンハイム本(『モン=サン・ミッシェルのアリストテレス』)に触発される形で、メルマガのほうでもギリシア思想の伝達問題を見直しているところだけれど、最近岩波書店から刊行されている「ヨーロッパの中世」シリーズの1冊(というか第一回配本)、佐藤彰一『中世世界とは何か』が、すでにその本について触れているという話をきき、さっそく取り寄せてみる。これ、まだちゃんとは読んでいないのだけれど、初期中世を中心に、統治の問題から修道院文化まで、最新の知見を交えながらまとめたもののよう。なかなかに面白そうだ。で、上のグーゲンハイム本への言及は、第5章の3節。カロリンガ・ルネサンスの文脈で出てくる。「新説は提示されたばかりであり、今後どのような展開を見せるかはいまだ判然としないが、注目すべき問題提起である」と、ギリシアの諸学が西方で息づいていたという説へは慎重な立場を示している。

で、個人的には、そこに先立つ箇所でフランク世界の「知的磁力の核心」例として取り上げられているセドゥリウス・スコトゥスの話が興味深い。アイルランドの学僧で、848年にリエージュに現れ、ギリシア古典の博識をもとに著作を著し、10年ほどで消えていった人物なのだという(p.249)。愛用の『中世辞典』(“Dictionniare du Moyen Age”, puf, 2002)でも、詳細不明の人物とされている。宮廷付きの詩人としても活躍したようで、詩作品のほか、マタイによる福音書やパウロ書簡の注解書、文法書、さらには自筆でのギリシア語の詩編集なども残っているという。なるほど、これまた興味深い人物だ。著作や研究書も探してみようか。

ザクセンのアルベルト

ユルゲン・ザルノウスキー『アリストテレス的・スコラ的運動理論』(Jürgen Sarnowsky, “Die aristotelisch-scholastische Theorie der Bewegung”, Aschendorff, 1989)という本を古書で入手。副題は「ザクセンのアルベルトによるアリストテレス『自然学』注解の研究」。結構分厚いのだけれど、場所論がらみの箇所を中心に見ているところ。ザクセンのアルベルトは14世紀にパリ大学ほかで教鞭を執った人物で、ジャン・ビュリダンなどの影響を強く受けているとされる。ちょうど先日取り上げたデュエム抄録本の場所論を扱った部分でも取り上げられているけれど、そこではビュリダンというよりは、オッカムの議論を引き継いでいるという扱いになっている。で、このザルノウスキー本の場所論部分も、そのあたりをより詳細に検討するという内容になっている。

アリストテレスに端を発する、場所を形相的なものと質料的なものに区分し(いずれも物体と見なしている)、前者を不動、後者を可動とみる議論(トマスの解釈を受けて弟子筋のローマのジル(アエギディウス・ロマヌス)が説いた)は、ビュリダンその他によって否定されているというけれど(デュエム)、アルベルトになるとどうやらそうした区分を、「自然物に不動のものはない」みたいな話でもって、ある種の相対主義のような形で定義し直すようだ。「天空と地球が同じ方向に同じ角速度で動いていれば、地球に対する天空の位置は変わらない」なんて一文もあるらしい(ちょっとビックリしますね、これ)。うーん、こりゃなかなか面白そう。さらにこれまた先のド・リベラ本でも、最後のほうで、アルベルトは「事態」論を付帯論的に刷新したニコル・オレームを引き継いでいるみたいな話が出てきた。なにかこう、どこか媒介者的な立ち位置を感じさせるものがある。