ストラスブールの誓約書

308px-sacramenta_argentariae_pars_longa2月14日といえば世間的にはヴァレンタインデーだけれど、古仏語などをやっている人にとってはまた別の意味合いがある日かもしれない。つまり最古の文献「ストラスブールの誓約書」の日だ。842年の2月14日に、ルイ善良王の息子ルイとシャルルが、長兄のロテールを敵に回して立てた誓いで、ルイの側がロマン語(古仏語)で、シャルルの側がゲルマン語で記している(それぞれの領土はちょうど逆)。中身は「神の愛と、キリスト教の民と我々の民の共通の救いのため、この日より、神が知と力をわれに与える限り、兄弟がそうすべきであるよう、われは弟シャルルをあらゆる援助で支える。ただし、弟もわれを等しく支えることを条件とする。また、われはロタールとは、弟のシャルルに不利になると思われるようないかなる取り決めも行わない」というもの。ちょっと古い本だけれど、山田秀男『フランス語史』(駿河台出版、1994)から重訳(ちょっと正確さには欠けているかしら)。うーん、あえてラテン語ではなく二つの世俗語が併記されているというのがなんとも象徴的。そういえばベルギーの分裂状態はその後どうなっているのかしら……。また、古仏語研究の最先端とかはどうなっているのかも気になるところ。久々に研究動向とかアップグレードしたいところだなあ。

……まったくの余談だが、せっかくヴァレンタインデーなので、世間の恋人たちには、Zガンダム(またその話か……ま、30周年だからな(笑))劇場版3作目のラストに流れる、Gaktの曲Love Letter
iconを捧げよう(今さらだが)。本編全体はともかく、このラストは悪くなかったし。

iPod Touchもろもろ

先にiPod Touch/iPhone向けのギリシア語辞書(Greek-English Lexicon)を出してくれた同じ開発元が、Latin Dictionary
iconというのも出してくれている。これ、パブリックドメインに入った1879年のLewis and Shortのレキシコンそのもの。さらにその同じ開発元はOld English Dictionaryというのも出している。なかなかに素晴らしい。

そういえば日本では産経新聞がそのまんまiPod Touch/iPhoneで読めるけれど、そこまでではないものの、フランスのLe MondeもLe Monde.frをアプリ化している。結構軽くていい感じ。ほかにFrance 24 Liveなんてのもあるが、これはライブビデオを配信するもの。当たり前だけれど自宅の無線LAN環境でないとキツい。出先ではアドエスでWMWifiRouterを介してつなぐので……。話ついでだけれど、アドエスにもiPod Touch/iPhoneっぽいインターフェースのメニューを入れてみた。Winterfaceというやつ。なるほど、iPhoneのインターフェースは今やすっかり一つのパラダイムと化しているからなあ。

再びアプリに戻ると、「そういえば、アラビア語辞書とかもないなあ」と思っていたら(ま、簡易語彙集みたいなのはあるけれど)、どうやらiPhoneは現時点で、アラビア語にはフルには対応していないらしい。面白いのは、そんな状況でもアラビア語のメールアプリとかが出ていること。なかなか素晴らしそうでないの。でもとりあえず個人的にはこれは不要。辞書引きながらたどたどしく読むだけなので……(苦笑)。うん、やっぱり辞書アプリが欲しいよなあ。それから文献も出してくれないかしら。

キマイラ問題

相変わらず読んでいるド・リベラの『虚無への参照–命題の理論』。分析哲学系・論理学系のターム(Sachverhalte(事態)、Truthmaker、tropesなど)の中世的考古学を展開するわけだけれど、当初、頭から読んでいかなかったせいか、なんだか今ひとつ議論に乗れないというか……。中身の議論もちょっといわゆる「スパゲッティコード」のような代物なので……。でも中盤を貫く中心的トピックをなすのは、中世で大きな問題だったとされる「キマイラ」の扱い。キマイラのような存在しないにもかかわらず言表で表せるものは、論理学的にどう扱えばよいのか、ということで、上のトゥルースメーカー(真をなす根拠)にも関わってくる問題。特に取り上げられているのが、14世紀のウッドハムのアダムが提唱したとされるsignificable complexe(複合的な意味可能体とか訳せるかしら?)という議論。これは真偽の判断の対象(つまり語の意味内容)というのは複合的なものであるとする立場で、判断の対象となるのは前提と結論からなる命題全体か、あるいは結論のみかという問題について、命題全体だとするウッドハムのアダムによって、初めて「意味内容」という概念が導入されたのだという。で、同時代のリミニのグレゴリオは、その枠組みを保持しながらも「神学的事情から」「結論のみ」の方へとシフトさせるらしいのだけれど、このあたりは議論もよく見えないし、当時の神学状況も絡んでなにやらとても煩雑(苦笑)。で、今度はそれをニコラ・オレームやジャン・ビュリダンなどが批判し、命題内の項は命題そのものの意味内容であって、命題自体が真偽の判断などを課すのではない、みたいな議論を展開するという。うーん、14世紀の論争はまたなかなかに複雑そうだ(笑)。

デュエム本の抜粋本

以前ドゥンス・スコトゥスの「場所」論がちょっと面白そうだったこともあって、少し前に場所論の系譜を調べようとしたら、デュエムがちゃんと整理していることをどこぞで知った。19世紀フランスの物理学者であり科学史家でもあるデュエム。その大作『世界の体系』10巻本は確かに、まずもって当たりたいリファレンスではあるのだけれど、量に圧倒されてさしあたり全部は読めそうにない(苦笑)。そうなると、縮約版とかがほしいところ。デュエム本人も晩年、そういう縮約版を構想していたという話もあるけれど、それは残念ながら実現していない……。と思っていたら、うかつだったけれど、中世に関しては英訳版でそれに類するものが出ているでないの。『中世のコスモロジー』(“Medieval Cosmology: Theories of Infinity, Place, Time, Void, and the Plurality of Worlds”, tr. Roger Ariew, The Univ. of Chicago Press, 1985-87)というのがそれ。この序文などは、同著作のガイドとしても役に立ちそう。場所論は主に7巻に収録されていることがわかる。抄訳も収録されていて、大いに助かる。『世界の体系』は以前Gallicaでダウンロードできたのに、今はできなくなっているのだけれど、これって再版されたせいかしら?(amazon.frとかで各巻が買えるようだが……)

リュート関連2枚

このところリュート関連ものを2枚ほど聴いている(実は3枚なのだが、とりあえず紹介は2枚にしておこう。もう1枚はちょっと……(苦笑))。まず1つめはラファエル・アンディアによるバロックギター演奏の『ロベール・ド・ヴィゼー、ギター組曲集』(“Robert de Visée: suites de guittare”)。ド・ヴィゼーは17世紀から18世紀初頭にかけて活躍した作曲家、テオルボ奏者だけれど、案外詳しいことは知られていないようで、リュート曲のほかにギター曲も手がけている。当時のルイ14世の宮廷では、リュートよりもギターが人気を博していたというけれど、そういえば以前、そのあたりのレパートリーは埋もれたままだという話を聞いたことがあったっけ。ライナーによると、ド・ヴィゼーは1682年に「王に捧げるギターの書」を刊行しているほか、86年にも「ギター曲集」を出しているのだとか。で、このCD、実は1986年の再版。ライナーにもあるように、研究姿勢が前面に出ている感じの演奏で、表現はやや硬めというか(音質がというわけではないけれど)……でも、フレンチ・バロックのうねり方を味わうという意味ではそれなりに面白い。

もう1枚はポール・オデットの新作だけれど、こちらも一種の研究もの(?)。『リュート音楽–メルキオル・ノイジドラー』。ルネサンス期のドイツ式タブラチュアというのはかなり特殊で、なんと全フレットにアルファベットないし数字が振り分けてあるという、ちょっとフランス式やイタリア式にくらべて合理的とは思えない方式(笑)。これは解読するだけで大変だろうなあ、と。で、ドイツ式はプロの奏者にとってもまさに未踏の領域になっているようだ。というわけなのか、オデットも16世紀のノイジドラーに挑んでいる。演奏は実に淡々としたもの。最近のオデットはまたこういう、装飾などを抜きにしたスタイルになっているのかしら。曲はとくにゲルマン的な感じもなく、どこか慣れ親しんだ旋律で、聴きやすいけれどこれといった特徴は感じられない曲想かも(苦笑)。ちなみに、父親ハンス・ノイジドラーもリュート奏者・楽器製作者なのだそうで、教則本などを出版しているのだとか。下のジャケット絵は、バルトロメオ・パッサロッティの『リュートを弾く男』(1576:ボストン美術館所蔵)。

M.Neusidler: Lute Music -Wie mocht ich frohlich werden, Ricercar Terzo, etc / Paul O’Dette