各論の時代に……

昨晩はレジス・ドゥブレの講演会へ(@日仏会館)。前回のメディオロジー会議が2002年くらいだったので、8年ぶりか。「境界は何の役に立つか」という今回の講演は、分割や囲い込みなどで悪しく言われることの多い「境界」について、実は境界がないほうが全体的なフラット化・閉塞を招くとし、境界は再び(別様に)評価されなくてはいけないとする内容。分割される両側が相互に認知され可視化される境界を理想として提唱していた。つまりは「bon usage de la frontière(国境の正しい用い方)」みたいな感じ。相変わらずのドゥブレ節で、たとえば細胞膜と国境などを一緒くたにして考えるなどの、奔放な物言いと比喩・レトリックを多用するスタイル。だけれど、境界を残しつつ、相互承認や交流を勧めるという主旨だけ見ると、あまり目新しい論点でもないような……(笑)。それに、こういうステップバックした大局的な視点・物言いは、なるほど知識人的なスタンスとしては今も生きてはいるのだろうけれど、昨今では昔ほどニーズを喚起していない印象も残る。実際、質疑応答で出てくるのはアフリカの国境画定の問題など具体的な話。今求められているのはむしろそういう細やかな各論なのだなと改めて思う。今回の講演会、聴衆の平均年齢も昔より高くなっている印象もあり(若い人たちがあんまりいない)、なにか時代の空気の様変わりを如実に感じさせる。

プセロス「カルデア古代教義概説」 – 11

27. Καὶ ἡ μὲν ὕλη πατρογενής ἐστι καὶ ὑπέστρωται τῷ σώματι, τὸ δὲ σῶμα καθ᾿ ἑαυτὸ ἄποιόν ἐστι, δυνάμεις δὲ διαφόρους λαβὸν εἰς τὰ τέτταρα στοιχεῖα διῃρέθη, ἐξ ὧν ὁ σύμπας ἐμορφώθη κόσμος καὶ τὸ ἡμέτερον σῶμα.
28. Ἑκάστης δὲ σειρᾶς ἡ ἀκρότης πηγὴ ὀνομάζεται, τὰ δὲ προσεχῆ κρῆναι, τὰ δὲ μετὰ ταῦτα ὀχετοί, τὰ δὲ μετ᾿ ἐκεῖνα ῥεῖθρα. Τοιαύτη, ὡς ἐν κεφαλαίοις εἰπεῖν, ἡ τῶν Χαλδαίων θεολογία καὶ φιλοσοφία ἐστιν.

27.また、質料は父から生まれ、物体に拡がるものであるが、物体それ自身は性質をもたず、様々な潜在態を取ることで四つの元素に分かれ、そこから世界の全体とわれわれの身体が形作られる。
28. それぞれの「連鎖」において極みは源と名付けられる。それに隣接するのが泉であり、それに続くのが運河、それに続くのが河川である。以上が、カルデアの神学と哲学の概要である。(了)

*次回からはプロクロス「カルデア哲学注解(抄)」

久々のマシントラブル(Win)

ヘビーな用途にさえ使わなければ出先などで重宝する工人舎のマシン(SA1F)で久々にトラブル発生。というかミスなのだけれど(苦笑)。XPとMandriva Linuxのデュアルブートにしていたのだけれど(Mandrivaは最近はほとんど使っていなかった)、XP側の空きが不足してきたので、残しておいたと思っていた別パーティションをEaseus Partition Master(ホームユースなら無料の優れものパーティション管理ツール)でXPに統合しちゃおうと思って、あろうことかMandrivaの一部のパーティンションを消してしまった。で、そのため再起動したらブートローダーのgrubにエラーが。エラー17

これはもうgrubを消すしかないと思ったのだけれど、grubを消すためにはインストール用のXPのCD-ROMから、回復コンソールでもってMBRを修復しなくてはならない。ところが工人舎マシンはCD-ROMはなく、たとえあってもうちのUSB接続のCD-ROMドライブはブートに対応していないケッタイな製品なので(Panasonicの古いやつ)。結局、VirtualPC用のProfessional版XPのインストールディスクをUSBメモリに入れ、そこからブートさせることにした(やり方はこちら)。これ、むちゃくちゃ時間がかかったけれど、とりあえずブートして(工人舎のはHome版XPだけど、問題ないみたい)、晴れて回復コンソールとなった。ところが……。

fixmbrをやっても一向にgrubは消えず、エラー17が出て止まる……。どうなっとんのじゃ、こりゃあ、としばし黙考。で、上の回復コンソール紹介ページにあった「map C:」のコマンドを何気なく打ったら、なんとHarddisk0とHarddisk1があった(!)。これはびっくり。そういえばMandrivaを入れるとき、ドライブが2つに分かれていたので、少し変なパーティション構成にした気がする(すっかり忘れているが)。grubは別ドライブに専用の極小パーティションを作ってインストールしたような……。で、実際「fixmbr ¥Device¥Harddisk1」でめでたくgrubが消えた……。うーん、これだけで半日以上が費えた。教訓:むやみにパーティション切るのはやめましょう。

バルカレス・リュートブック

帰省中もiPodで聴いていたのがこれ。『バルカレス・リュートブック』(The Balcarres Lute Book。これがまたとても良い(笑)。バルカレス・リュートブックというのは、17世紀末ごろの英国のリュート曲集なのだそうだけれど、バロックというより、よりルネサンス的なというか、民衆音楽的な雰囲気を湛えたどこか素朴な曲集。それもそのはずで、ライナーによると、スコットランドの民謡や、英国のエア、バイオリン曲のアレンジなどが入っているものなのだとか。基本的にはフレンチのバロックリュート(11コースもの、Dマイナーチューニング)用とのことで、18世紀初めごろは英国の12コースの楽器よりもそちらが好まれたらしいという。シルヴァン・ベルジュロンの演奏は、これを実に見事に美しく、時にしめやかに、時にドラマチックに歌い上げてくれる。この人、ポール・オデットやオイゲン・ドンボワに師事したとある。しかもあの古楽アンサンブル「ラ・ネフ」(個人的には『ペルスヴァル – 聖杯伝説』のメロウな録音が最高!)の共同創設者だったとは!お薦めっす(笑)。

オリヴィの質料論 – 2

2日間にわたり用事で田舎へ。行き帰りなどに、少し前に挙げたオリヴィ『質料論』を読み進める。『命題集第二巻問題集』の長大な問一六の、異論、反対異論ときて、自説が述べられる答弁部分。そのまだ半分に差し掛かったあたりだ。うーむ、まだまだ先は長い。でもその中心的な考え方は見えてきた。オリヴィの考える質料とは、たとえば蝋の塊のように、それ自体で現実態ではあるものの、同時に可能態でもあるもの、つまり形相を受け取ることによってより高い完成へと向かう傾向(inclinatio)をもつもの、ということらしい。オリヴィの解釈では、アリストテレスすらも質料を純粋な可能態とはしていないとされる。すでいしてそれは実体、複合体であり、さらなる完成のために形相を受け取るということで、それは形相の付加ということになり、こうなるとモノの本質と偶有との区別もあいまいになってくる……。自説部分の全体はこの後どうやら天使(オリヴィ以前には質料をもたないとされていた)をめぐる議論になっていくようだ。というわけで、それはまた後日メモることにしよう。