オッカムがらみで出てきたオリオルのピエール(ペトルス・アウレオリ)については、専門のサイト(The Peter Auriol Homepage)がある。ここは玄関口こそあっさりしているけれど、『命題集第一巻注解(Scriptum super primum Sententiarum)』オンライン版の一部テキストなどがダウンロード可で、なかなか充実している。とはいえまだまだ整備途上のようなので今後にも大いに期待。ウォルター・チャットンについてもこういうのがあるといいのにねえ、と思ってしまう(苦笑)。
再び論集『コンスタンティヌス・アフリカヌスとアリー・イブン・アルアッバース・アルマグージー』からメモ。編者の一人、ダニエル・ジャカールが寄稿している「コンスタンティヌス・アフリカヌスによる自著の意味づけ:アラビア語とラテン語での序章」(Danielle Jacquart, Le Sens donné oar Constatin l’Africain à son oeuvre : les chapitres introductifs en arabe et en latin”, pp.71-89)を読む。コンスタンティヌスの『パンテグニ』と、それの元とされるアルマグージーの『キターブ・カーミル』との序文を比較検討するという内容で、両者の違いを浮き彫りにしている。まずはそれぞれの自著の位置づけ方が違うという。アルマグージーは一種の進歩史観に立って、先達たちの書が不十分であり、単独で医学全般を網羅したのは自著が初だと自負する。一方のコンスタンティヌスは、あくまでラテン世界でのそれまでの医学入門書は不十分であるとし、先人たちと同時代人たちとの医学的知識の統合を果たそうとする。医学をどう見なすかにも差異があり、アルマグージーは医学をそれ自体で高貴なるものと位置づけようとするのに対し、コンスタンティヌスは人文知(というか哲学)の三区分(自然学・倫理学・論理学)のいずれにも依存せず、それでいてその三領域すべてに関係する学として医学を持ち上げる。言及される権威どころも多少違っていて、さらに上の進歩史観のせいか、アルマグージーは権威への批判・糾弾も激しい模様だ(ガレノスに対してなど)。コンスタンティヌスはというと、それを和らげ、むしろ別の点を強調してみせるという。総じて『パンテグニ』の利点は、それまでのラテン世界には事実上なかった理論面の礎を示したことにあるといい、想定読者も実際に医療行為を行う者というよりは、むしろ医療に関心を寄せる知的階級を想定しているようだ、と著者は述べている。
念願の論集『コンスタンティヌス・アフリカヌスとアリー・イブン・アルアッバース・アルマグージー – パンテグニと関連テキスト』(Constantine the African and ‘Ali Ibn Al-‘Abbas Al-Magusi: The Pantegni and Related Texts, ed. Charles Burnett & Danielle Jacquart, Brill, 1994) を入手し読み始めているところ。サレルノの医学的伝統の礎石とも言われる11世紀のコンスタンティヌス・アフリカヌスはチュニジア生まれで、とりわけ著書『Pantegni(パンテグニ:完全なる技)』が有名なのだけれど、実はこれがアリー・イブン・アルアッバース・アルマグージー(10世紀)の『キターブ・カーミル・アッシナ・アッティビーヤ(完全なる医学の書)』の翻案であると言われてきた。とはいえ事情は複雑で、前半の理論編は照合箇所が多々見られるらしいのだけれど、後半の実践編になると、『パンテグニ』は章立て以外、様々な他の文献の寄せ集めのようになってくるらしい。この後半はどうも段階的に増補されていったようで、コンスタンティヌスの死後においても完全に至っていないのではないかという(以上、チャールズ・バーネット&ダニエル・ジャカールの序文から)。そんなわけで同論集では、その書の成立や背景、文脈など、様々な問題が研究の対象となっている。個別の論考はいろいろ面白そうなので、これもまた逐次メモしていくことにしよう。
というわけでまず今回は、フランシス・ニュートン「コンスタンティヌス・アフリカヌスとモンテ・カッシーノ:『イサゴーゲー』の新規事項とテキスト」(Constantine the African and Monte Cassino: New Elements and the Text of the ISAGOGE)という論考。「イサゴーゲー」というのは、フナイン・イブン・イスハークの小著書のラテン語訳(11世紀後半)で、西欧に流入した初期のアラビア医学書の一つ。古い写本にはパリのものとモンテ・カッシーノのものがあり、後者のほうがはるかに厳密な校正を経ているという。この論考は、とくに後者の文献学的な成立年代を推定し、同時にモンテ・カッシーノの年代記からコンスタンティヌス・アフリカヌスの滞在時期を割り出し、そのイサゴーゲーの翻訳にコンスタンティヌス・アフリカヌス自身が関与した可能性を検討するというもの。文献学の精緻さと推論の大胆さを併せ持った、ちょっと面白い「読ませる」論考だ。なによりも面白いのが、パリ写本の粗雑ぶりを指摘している箇所。普通なら章の最初におかれる飾り文字がそのまま欠けていたり(しかも複数箇所)、筆跡として似てくるaとtとがごっちゃになっていたりするのだそうだ。11世紀末頃の写本とされているけれど、これを写した写字生が本文をちゃんと読んでいないことは明らかで、逆に当時の筆写の実態というのに興味が湧いてくる(笑)。
相変わらず『植物の世界』(Le monde végétal)から。今度はミケラ・ペレイラ「植物的生と錬金術的変成」(Michela Pereira, Vita vegetale e trasformazione alchemica, pp.207-229)をざっと見。アラブから西欧に錬金術が入ってきた当初は、各種の金属や鉱物の実体を実験に用いるという手法が主だったというが、14世紀初頭以降は水銀を中心とする蒸留ドクトリン(パラケルススにも通じるもの)が確立される。そのテーマを扱う嚆矢となった錬金術書に、偽ルルスの『自然の秘密または第五元素の書』(Liber de secretis naturae seu de quinta essentia)なるものがあったという。第五元素(quinta essentia)は14世紀には第一質料と同義とされ、「水銀」とも同一視されるらしいのだけれど、そこではさらにワインほか有機物から蒸留により抽出されるエッセンスとして言及されていたりするという。同時代のロクタイヤドのジャン(Giovanni da Rupescissa, Jean de Roquetaillade)の著書などにも言及があり、こうして錬金術に自然学的なテーマ(生命の力学)が介入してくるというわけだ。それは物質と生命とを重ね合わせ、錬金術の変成過程と生命の生殖・誕生の過程とを重ね合わせることにもなる、と。論考はさらに、植物的テーマ自体がギリシア語圏の錬金術の伝統(ゾシモスほか)に見られることや、ルルス的な哲学の木が同偽書の中で錬金術的に再解釈されていること(実際のところ、ルルスの真正著書には錬金術書はないのだそうだが)、錬金術と人間の創造との接合というテーマへの接合などを取り上げてみせる。うーむ、錬金術関連の歴史は個人的にまだあまり整理ができていないので、なにやらこういうのはとても参考になる。まあ、時に多少面食らう感じもあるけれど……(笑)。