「幽霊」譚の隆盛(16世紀)

ひとつ前で取り上げた論考によると、災害についての認識が宗教色を帯びるのは宗教改革・反宗教改革の時代からだということだったけれど、今回もまた別のテーマで、その時代に認識の枠組みが変化したらしいというお話。で、そのテーマというのがイングランドの幽霊譚。プロテスタント文化圏でそれが活況を呈していくのも近代初期以降で、転換点がどうやら宗教改革にあるのだという。そう主張するのは、アルマンダ・ジェイン・マッキーヴァー『近代初期プロテスタント文化における幽霊』という学位論文(Amanda Jane McKeever, The Ghost in Early Modern Protestant Culture: Shifting perceptions of the afterlife, 1450-1700, University of Sussex, 2010)。とりあえず序文と前半を見ただけだけれど、なかなか面白い。中世においては「煉獄」を中心に、死者と生者とをとりなすシステムがあり、そこでの死者は神の意志によって煉獄から引き戻される場合があるとされ、それは死者・生者のいずれにも恩恵をもたらすという積極的な意味を付されていた。ところが宗教改革において、一部の派(カルヴァン派など)を除き、そうした死者と生者のとりなし装置は一蹴されてしまう。煉獄の教義は否定されて、表向きには「幽霊」なる存在の可能性もなくなるはずだったのだが、やがて、とりわけ17世紀後半にかけて、プロテスタント社会ではエリート層・大衆層のいずれにおいても幽霊への関心が高まり、幽霊譚は印刷文化において一つの独立したジャンルをなすにいたる。結果的に、幽霊譚は魔女や悪魔についての語りと一体化し、中世においてはモラル的にニュートラルだった幽霊は悪魔的なものとされるようになり、18世紀末から19世紀にかけてのゴシックホラーへの道も開かれた。そうなった背景は何なのか。著者はそこに、摂理の教義の影響とか、民衆に残っていた異教的死生観の反動などがあったと指摘する……。

前半部分でちょっと興味深かったのが、「revenant」の伝統が17世紀中盤ごろに幽霊譚に取り込まれたという指摘。revenantというと仏語では幽霊を指すが、原義としては墓場から戻ってくる者ということで、英語ではゾンビの原型というか、腐敗臭を発しつつうろつく亡者の肉体のことを指すという。そうした存在は古代や初期のキリスト教の伝統には見られないといい、むしろキリスト教以前の北欧の伝承がもとになっているという。これが幽霊譚に取り込まれたところに、論文著者は説話のリサイクルという現象を見てとっている。なるほど、それは文化史的に重要なキー概念かも。

↓煉獄の形象としては、なんといってもバベルの塔みたいなこの煉獄山。wikipedia(en)より、「ダンテの神曲」ドメニコ・ディ・ミケリーノ画(1465年、フィレンツェ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)