哲学のおおもと

おおもとは反論にあり


 最近読んだマルサスにしても、マルクスにしても、それぞれの立論は誰かの議論への反駁というかたちをとっています。思想的議論の根源というのは、やはり反論にあるのかもしれないなあ、と改めて思いますね。

 思うところあって、最近またプラトンによる『ソクラテスの弁明』と『クリトン』を希語で読み直してみましたが、そこでもやはり、議論の出発点は反論にあり、という感じでした。まあ、裁判の場で糾弾されているわけですから、反論から出発するのは当然といえば当然です。メレトスとかアニュトスとか、糾弾する側への反論こそが、ソクラテス側の立論の根底をなしている感じですね。根源は単なる対話なのではありません。そうではなくて、反論・反駁なのです。ここを取り違えてはいけないと思います。思想を語るための基礎は、反論にあり、と。

 昔、霊魂論の哲学史的研究と称してメモ取りながら読んだ『パイドン』も、Loeb版の同じ巻の所収なので、そちらもまた読み返そうと思っています。哲学的思惟と宗教的信仰のあわいを、改めて味わってみたいところです。

マルサス

人口論を読んでみる


 ミルの自由論の訳業がよかった斉藤悦則氏訳で、やはりkindle unlimitedに入っているマルサスの『人口論』(光文社古典新訳文庫、2011)を読んでみました。人口論は概要だけは知っていましたが、やはり実際に読んでみると、だいぶ印象が違いますね。ミルの本もそうでしたが、メインとなる主張は最初の章にまとめられています。

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 マルサスはそこで、食料の生産(土地による生産)が等差級数的にしか増えないのに、人口は等比級数的に増え、その不均衡が、人口の増加を抑制する契機となり、しかもそれはもっとも多い部分、つまり下層階級に特に重くのしかかる、というテーゼを打ち出します。もちろん、時代から考えて、厳密な科学的データに依拠しているわけではないのですが、人間の営為が自然条件と密接に関連していることへの着眼は興味深いですね。

 また面白いのは、これが当時の時代的文脈に即して書かれているということです。英国で成立したという救貧法が、かえって庶民の労働意欲をくじく悪法であると批判し、また、コンドルセの理性主義やゴドウィン(『フランケンシュタイン』のメアリ・シェリーの父親)の進歩史観・理想論などをするどく批判しています。というか、そうした批判・反論こそが本の大きな部分を占めています。

 マルクス本人の思想がマルクス主義とは別物であるように、マルサスの議論も後世のマルサス主義とはだいぶ違っている印象です。マルサスの人口論はその後も版を重ね、内容も拡充していくといいますが、ここで訳出されているのは、匿名で出版された初版なのだとか。若い、才気に満ちたダイナミックな筆致を感じさせます。

スポメニック

謎な巨大建造物たち


 先日、アマプラで『最初にして最後の人類』を観ました。2018年に急逝したアイスランドの作曲家ヨハン・ヨハンソン(『メッセージ』とかの映画音楽を担当していた人物です)が監督した、ちょっと風変わりなフォト・ノベルのような作品。16ミリフィルムで撮影されたという、旧ユーゴに点在する巨大な記念建造物「スポメニック」を延々と映し出しながら、ヨハンソンの音楽とティルダ・スウィントンのナレーションで、SF作家オラフ・ステープルドン(『スターメイカー』の作者ですね)の原作をひたすら読み上げていくというものですが、映像と聲と音が、なにやら異様な迫力で迫ってきます。

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 なんといっても、スポメニックの異様さが際立ちます。異様さ、というと語弊があるかもしれませんが、第二次大戦の戦勝記念として建てられたという巨大建造物たちを、様々なアングルと、動きをともなうカメラで撮っているためか、とても興味深い絵になっています。圧巻ですね。

 これは面白い、と思ったので、スポメニックの写真集を購入してみました。なんと、ガイド本です(!)。Donald Niebyl “Spomenik Monument Database” (Fuel, 2018) というもの。

 邦訳も出ているようなのですが、とりあえずオリジナルのハードカバー版です。表紙のカバーの裏側が概略の地図になっていて、本で取り上げたスポメニックがどのあたりにあるか、イラストで示されています。これは便利。本文中の個々の建造物についてのガイドも悪くありません。建造者(作家)も実に多岐に及んでいることがわかります。

 写真を眺めるだけでも飽きないのですが、でもやはり、ディテールももう少し知りたい気がします。その意味では、上の映画、ディテールをなめ尽くすように撮っていて、とても貴重なものかもしれません。

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ブリュノ・ラトゥール

現場主義?


 今週の始めに、ブリュノ・ラトゥールの訃報を目にしました。英語圏で名が知れていたせいもあって、「ブルーノ」表記のほうがいまだに一般的かとも思うのですが、最近はようやくブリュノ表記もそれなりに目にするようになりました。今やアクターズ・ネットワーク理論で有名なラトゥールですが、初期の構築主義的な科学論・科学技術論も、それらの政治性を、言葉は悪いですが、あけすけに論じるという、なかなかスリリングで興味深いものでした。もちろん、やや大げさで、断言口調の書きっぷりゆえに、ソーカル=ブリクモンあたりから、あるいは科学者たちから叩かれたりもしたわけですが、現場主義的なスタンスで、科学や技術が社会的に成立する場面・瞬間にまで降りていこうとする徹底ぶりは、とても面白く感じました。未邦訳ですが、頓挫した交通システムを文献など駆使して後追いしていく、『アラミス、あるいは技術への愛』(Aramis ou l'Amour des techniques, La Découverte, 1992)などはとても好きでしたね。

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 その後のアクターズ・ネットワーク理論への萌芽というか布石というかも、随所に見られたように思われます。そのあたりの展開とか、あるいはラトゥール思想の総括とか、まとめてくれる人などもこれから出てくるでしょう。個人的にも読み返したい、大御所の一人です。合掌。

ミルの自由論

「今の話?」と思えるほどに


 古典を改めて読み直すシリーズ(勝手にやっていますが)。今回はやはりkindle unlimitedで、ジョン・ステュアート・ミルの『自由論』(光文社古典新訳文庫、斉藤悦則訳、2012)を読んでみました。

 ミルの自由論は、社会的に自由が制限されうるのはどんなときか、ということを考える、まさに基本・根幹の自由論です。他人の自由に抵触する場合のみ、というのが最初から示されます。穏健?いえいえ、結構とんがっていると思いますよ。変わった人がたくさんいないと、社会は活性化しない。だから皆さん、変わった人になりましょう、というのですからね!

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 原書は1859年刊。当時の世相を反映して書かれたものですが、権力の横暴の話など、なんだか「今と一緒じゃん」と思えるほど、身につまされる話が続きます。逆にいうと、世界が変わっていないことがしみじみとわかり、愕然とします。

 同書の最大の魅力は、そのなめらかでナチュラルな訳文にあります。巻末の訳者あとがきには、その訳出作業が「一行ごとに幸せ」に満ちていたこのだったことが述べられています。それはそのまま読者にも感じられます。生きる希望のための書をもう一度、という感じです。すばらしい。