ソル・フアナ

フェミニズムの黎明


 またまた光文社古典新訳文庫から、ソル・フアナ(フアナ=イネス・デ・ラ・クルス)『知への賛歌』(旦啓介訳、2007)を読了しました。17世紀のメキシコの女子修道会に在籍していたフアナの、韻文詩数編と、自伝的な書簡二通を収録した作品集です。

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文学、そして学問の才をもつことを自覚しつつ、周辺の人々が寄せる様々な世俗的感情(悪意など)に必死に抗いながら、そうした才を花開かせようと孤軍奮闘する姿が、目に浮かぶようです。神学的な知識の該博さもさることながら、女性が活躍することをなかなか認めない社会に向けて、なんらかの状況打破を希求しているところなど、まさにメキシコでのフェミニズムの嚆矢というふうです。これも読み応えのある、素晴らしい一冊です。

ネコひねり問題

壮大な科学史絵巻


 タイトルに惹かれて読んでみました。グレゴリー・j・グバー『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた』(水谷淳訳、ダイヤモンド社、2021年)。軽い読み物なのかと思いきや、ネコの正常着地現象を題材に、主に初期近代から現代までの科学史を、力業的に引き寄せるという、読み応え十分の一冊でした。

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 なるほどネコひねりは、どういうメカニズムで成立しているのかよくわからないという現象なのですね。それを解き明かすために、さまざまな関連技術、学問的仮説の数々を史的にめぐっていきます。どこか「わしづかみ」という雰囲気を醸しています。写真術の発明、初期の物理学的考察、動物生理学の発展、はては現代科学、宇宙開発にまで話題が広がっていきます。なかなか壮大です。

 原題はFalling Felines and Fundamental Physics(落下するネコたちと基本物理)で、2019年刊。訳者のあとがきによれば、著者は物理学の教授で、光学迷彩などの研究者だそうです。初の一般向け著書なのだとか。筆致(翻訳の?)はとても軽妙で、ぐいぐい読ませますね。

シャルル・バルバラ

『赤い橋の殺人』


 またまたkindle unlimitedからですが、シャルル・バルバラの代表的中編『赤い橋の殺人』(亀谷乃里訳、光文社古典新訳文庫、2014)を読んでみました。一種の準ミステリー的な作品です。原著は1855年刊行で、訳者(バルバラを再発見した当のご本人とのこと)による巻末の案内によれば、いくつかバージョンがあるようです。「準ミステリー的」と称したのは、主要登場人物の犯罪関与が早い段階からが何度か示唆され、後半の謎解きの意外性は薄く、いわゆる純正なミステリーには属さないものの、どこか同時代のミステリー系の作品群から影響を受けているように思われるからです。でも、ストーリー構成などを含めて、作品自体はなかなか興味深く、最後まで一気に読ませます。

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 寡聞にして知らなかったのですが、このバルバラ、ボードレールの同時代人で親交もあり、弦楽器製造業の家に生まれているのだそうです。自身もバイオリンをたしなみ、それもあってか、作品でも音楽が盛んに言及されます。狂言回し役などはもろに奏者・音楽教師ですね。

 

ミステリー小説的「黄昏」

『十二神将変』『災厄の町』


 夏読書ということで、塚本邦雄『十二神将変』(河出文庫、2022)を読んでみました。もとは1974年刊。「日本語」というのは難しいものだなと改めて感じさせる、旧仮名遣い・漢字多めで黒い字面が並ぶミステリー小説になっています。辞書引きながら読むのは結構大変ですが、作者の塚本邦雄は現代短歌の第一人者とのことで、そのためか、言葉の織りなすリズムなどが心地よく、個人的には結構ハマりましたね。

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 描かれるのは、お金持ちというか、地元の名家・名士たちが密かに織りなす結社の世界。もうなんというか、それだけですでに、どこか隠微な、黄昏の風情を醸し出しています。それを、様々な小道具で飾り立てていて、そのあたりは一種のカタログ小説的でもあります(あらゆる小説は職業小説であると誰か言っていた気がしますが、あらゆる小説はカタログ小説、というのもまた言い得て妙かもしれません)。また、事件を暴く探偵役は誰かというのも、犯人は誰かと同様に、話を盛り上げている感じです。

 最近、エラリー・クイーンの『災厄の町』(早川書房、越前敏弥訳、2014)もkindle版で読みましたが、そちらもまた、地元の名家の黄昏を描きだしていました。これ、日本映画の『配達されない三通の手紙』の原作ですね。こうしてみると、古典的なミステリー小説というものが、ブルジョワジーの退廃に見事に対応している枠組・作品分野だということが、改めて実感できます。

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物理世界と文化世界 – 2

再びマーク・チャンギージー


 『<脳と文明>の暗号』がなかなか面白かったので、その前の著書だという『ヒトの目、驚異の進化』(柴田裕之訳、ハヤカワ文庫NF、2020)もざっと読んでみました。こちらも、いろいろ卑近な例を次々に繰り出してくるのが特徴的のようで、なにやらとても楽しいですね。

 今回は、視覚に焦点を当て、それが能力として超越的な進化を遂げたものだということを4つのトピックで考察していきます。まずは色の見分け。最も身近な肌の色をいわばゼロ記号として、その微細な変化を認識するように、色覚は進化を遂げたのではないか、という話。続いて、前方に2つの目をもつ意味の考察。前方に障害物があって向こう側がよく見えない場合でも、2つの目で像を作ることで、いわばその障害物の先を見通す構造になっているetc。

 3つめは錯視について。錯視が示しているのは、運動の延長上(いわば未来ですね)に、現在(正確には未来)の像を先取りする能力なのだと喝破します。うーん、凄い。そして4つめ。これが個人的には最も興味深いトピックですが、なんと文字の話。われわれが文字として認識している線描は、実はどの言語かにかかわらず、3字画ほどで構成されているのだとか。しかもその字画パターンは、人間が自然界で良く目にする交差のパターンそのものではないか、と。思わず唸ってしまいました。文句なしに面白い仮説です!

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