戴冠式アンセム

今年はヘンデルイヤーでもあるわけだけれど、最近はあまりヘンデルは聴かない……凄いメロディ・メーカーではあるのだけれど、なんだかあまりにストレートすぎて繰り返し聴くという気にならない……なんて思っていたら、ザ・シクスティーンの新譜『戴冠式アンセム集(”Coronation Anthems”)』はなかなか渋くていい感じ(ハリー・クリストファー指揮)。これは思わず繰り返し聴く(笑)。UEFAのチャンピオンズ・リーグでアレンジ版が使われている「司祭ザドク」ほか4つのアンセム(1727年のジョージ2世と王妃キャロラインの戴冠式用)は、どれも勇壮な雰囲気。さらにオルガン協奏曲ヘ長調やその他の収録されていて、ちょっと面白い構成になっている。

Handel: Coronation Anthems, Oratorio “”Solomon”” HWV.67 -Arrival of the Queen of Sheba, etc / Harry Christophers, The Sixteen

ポルピュリオス論

個人的にはぼちぼちとポルピュリオスなどについての論考も読んでいきたいものだと思っているけれど、とりあえず、ジュゼッペ・ジルジェンティ『ポルピュリオスの特徴的思想』(“Giuseppe Girgenti, “Il pensiero forte di Porfirio”, Vita e Pensiero, 1996″)を取り寄せてみた。まだ読み始めたばかりだけれど、アリストテレス思想とプラトン主義との融和を図ろうとした思想家として、ポルピュリオスを真っ向から捉えようとしているところが、変な言い方になるけれどある意味すがすがしい(笑)。堅実な直球型の論究。両者の思想の核心部分には、存在論と一者論(ヘノロギア)の対立があるというわけで、ポルピュリオスは存在と一者を同一と見なし、両者の調停役を買って出ているのだ、というのがメインストリームらしい。プラトン主義の一者論の流れと、アリストテレス思想圏の存在論の系譜を整理した上で、ポルピュリオスによるプラトン、アリストテレス双方の著作への注解書を読み解いていくという趣向のようで、結構読み応えがありそう。

「アクィナスの勝利」

昨日からの続きになるけれど、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のスパニッシュ・チャペルのフレスコ画「聖トマス・アクィナスの勝利」(アンドレア・ディ・プレナイウト作、1365年ごろ)の下段の諸学芸部分に、歴史上の人物として誰が割り当てられているかという話は、意外に情報が少ない。ネットで探してみてもあまり言及されていない。とりあえず見つかったのが、こちらのブログ。このエントリの中程に図があって、そこに人物の一覧が出ている。これによると、まず左半分は順に次のように人物が対応していることになっている。

  • 民法 –> ユスティニアヌス
  • 教会法 –> クレメンス5世
  • 実践神学 –> ペトルス・ロンバルドゥス(『ジョイスと中世文化』では哲学 –> アリストテレス)
  • 祈祷神学 –> ディオニュシオス・アレオパテス(同、聖書 –> 聖ヒエロニムス
  • 教義神学 –> ボエティウス(同、神学 –> ダマスクスのヨアンネス)
  • 神秘神学 –> ダマスクスのヨアンネス(同、観想 –> ディオニュシオス・アレオパギテス)
  • 論争神学 –> 聖アウグスティヌス(同、説教 –> 聖アウグスティヌス)

人物の割り当てだけでなく、擬人像の意味も若干違っていて興味深い。次いで右半分の自由学芸。

  • 算術 –> ピュタゴラス
  • 幾何学 –> エウクレイデス
  • 天文学 –> ゾロアスター
  • 音楽 –> トバルカイン
  • 論理学 –> アリストテレス
  • 修辞学 –> キケロ
  • 文法 –> プリスキアヌス

『ジョイスと中世文化』でも説明されていたけれど、音楽に当てられているトバルカインは創世記に出てくる初の鍛冶屋。ピュタゴラスが鍛冶屋で打音を聞き数比を発見したという話を受けて、音楽に割り振られているというわけだ。また、同書ではシャルトル大聖堂のアーキヴォルトの浮き彫りによる人物の割り振りを取り上げているけれど、算術はボエティウスかもしれない(その場合、ピュタゴラスは音楽)し、天文学はプトレマイオス、文法はドナトゥスだったりするらしい。うーん、諸説いろいろということか。

ちなみに上のブログはシャルロット・メイスンという19世紀の英国人教育学者(?)の著書をベースにしているらしい。メイスンについてはこちらに紹介がある。著書のオンライン版というのもある。

ついでながら、同ブログから「アクィナスの勝利」の部分画像を(クリックで拡大)。

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ジョイスの中世

これまた速攻購入で速攻読了となったのが宮田恭子『ジョイスと中世文化』(みすず書房、2009)。ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を入り口として、そこに描かれたものの背景に広がる中世世界を訪ねるという一冊。バリバリの学術書かと思いきや、比較的自由な筆致で綴られた好エッセイという感じで、中世についての幅広い概論みたいになっている。研究書として異なる二系列を突き合わせるような場合、どちらを主軸に置いて語るのかのバランスというのは結構難しい気がするのだけれど(以前にもそういうことを言ったけれど)、本書はエッセイ的にまとめることで、かなり自由にジョイスと中世を行き来できるようにしている。これは見事かも。個人的に『フィネガンズ・ウェイク』はペーパーバック版とか持っていたりするのだけれど、実はさっぱり読んでいない(笑)。『ユリシーズ』も挫折したクチなので(苦笑)。そんなわけで、ジョイスが中世にかなりの関心を抱き、作品にこれほどいろいろな要素を取り込んでいるというのも、かなり新鮮だった。やっぱり20世紀前半あたりまでは、スコラ学や中世文化についての教養は今以上に重要だったのだろうなあ、と。

本書が扱うテーマも実に様々。たとえばパドヴァ大学関連(2章)などでピエトロ・ダバノ(アーバノのピエトロ)が何度か言及され、クザーヌスとジョルダーノ・ブルーノを介して伝えられる対立物の「反対の一致」思想をジョイスが受け止めている話などは印象的。アルベルトゥス・マグヌスもパドヴァ大学で学んでいた、なんて話も出てくる。自由学芸がらみ(7章)では、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のフレスコ画「アクィナスの勝利」の話も出てくる。トマスの下に並ぶ14人の学芸の擬人像(左側の7人は教会の学問、右側の7人は伝統的自由学芸)と、それに関連する歴史上の人物が紹介されているのだけれど、あれれ、この記述ではアリストテレスが二回出てくることになってしまうような……。7学芸への人物配置はシャルトル大聖堂をほぼ踏襲しているとされているけれど、そちら自体の人物の特定も決定的なものではないという。なるほどね。ちょっと確認してみようか。

音楽に関する章(8章)も興味深い。聖セシリアが音楽の守護聖人とされるのは14世紀以降で、実際にフレスコ画などで聖セシリアが楽器と関連づけられるのも15世紀以降のようだと著者は述べている。そもそも楽器を演奏する天使の絵が増えるのも13世紀以降で、著者はそこに神学思想のなんらかの変化を見てとっている。トマスが音楽の自律的な価値をいくぶん認め、楽器の使用については否定的ながら、なんらかの戸惑いを示しているとの指摘もある。このあたりも、ぜひもっと詳しく見たいところ。