イメージ「崇拝」史

このところまとまった時間が取れないので、逆にゆっくり読めている(笑)ブールノワの『イメージの向こう側』(イメージを越えて、というより、内容的には向こう側としたほうが良い気がしてきたので変更(苦笑))は、期待以上に勉強になっている感じで、個人的には好著だと思う。5章目と6章目はイメージの「崇拝」をめぐる考察史。この二つの章の間には、間奏のような文章が挟んであって(第二部と第三部の切れ目なので)、これがとても刺激的だ。中世の絵画では、遠近法の代わりに描かれる人物や事象の重要度で画面に占める大きさが決まるという手法が用いられているとよく言われるけれど、そうした手法の理論的な支えというのはどこにあったのかしらという疑問が前からあった。で、この文章によると、一例としてそれがペトルス・ヨハネス・オリヴィの文章に見られるのだという。おー、これは個人的には新しい知見だ。先日の八木氏の新著でも、スコトゥスの思想的基礎をもたらした人物としてオリヴィが取り上げられていたし、オリヴィはとても重要かもしれないなあ、と改めて。

5章ではビザンツのイコン崇拝や偶像破壊論の議論と対比する形で、西欧の特徴が論じられる。像とその崇拝とを分けて考える思考方法は尊者ベーダから始まり、大グレゴリウスに引き継がれ、教皇ハドリアヌス1世によって定式化される。一方、同時代のいわゆる「カロリンガ文書」(Libri Carolini)には、ビザンツ型のイコン崇拝をいっさい認めない強硬な立場が見られるのだという。そうした立場にも幾人かの継承者が出てくるも、教皇側の動きなどから徐々に追いやられ、やがて「カロリンガ文書」は引用すらされなくなり、著者によれば西欧にとっての「無意識」になっていったという。像の崇拝への道がさらに広く開かれるのは、6章で扱う13世紀になってから。1241年と44年に、「神の本質は人も天使も目にできない」という命題に対してパリ大学の教師たちから異論の声が上がり、オーベルニュのギヨームなどを中心に、後のいわゆる「直感認識」の理論が練り上げられていくのだという。著者はこれを、ポルピュリオス的な神論(アウグスティヌスが継いだ)による、プロクロス的な神論(偽ディオニュシオス文書が継いだ)に対する勝利と称している(早い話が否定神学に対する肯定神学の勝利っすね)。これは感覚的世界の掬い上げという副産物をもたらしたようで、トマスなどが用いる知的スペキエスの概念(もとはアヴェロエスとかだけれど)が一般化する背景もそのあたりにあるのではという感じだ。このあたりはもっと詳しく見たい気がするけれど、さしあたりのポイントが整理されているところが嬉しい。

リュートtube – 12 スコティッシュもの

Luthval氏の渋い一曲。逸名著者によるスコットランドの曲とか。1628年ごろのストラロックのロバート・ゴードン卿のリュート曲集から、とある。この「ストラロック・リュート・ブック」というのは英国ものっぽいけれど、結構良さそうな感触。たとえばNAXOSのライブラリにも、ボルティモア・コンソートの演奏でカナリー2曲が入っているっすね。

ピンダロス

冬季オリンピックが始まった……って、やっぱりオリンピックといえばなんといってもピンダロス。旧ブログでも2004年とかになにやらそんなことを書いたっけなあ。相変わらず祝勝歌は積ん読……(苦笑)。手元にあるのはLoeb版(“Pindar – olympian odes, pythian odes”, Harvard University Press, 1997)だけれど、ちょうどイタリアのボンピアーニの対訳本シリーズ「Il pensiero occidentale」に、『ピンダロス全著作集』(“Pindaro – tutte le opere”, Bompiani, 2010)が加わった模様。わー、Loeb版2巻を揃えるより安いでないの!。

プセロス「カルデア古代教義概説」 – 6

13. Εἶναι δέ φάσιν ἐν τῷ δημιουργῷ καὶ αἰσθήσεως πηγήν, ἐπειδὴ καὶ αἴσθησιν οὗτος ¨ἐπάγει¨ τοῖς ¨κόσμοις¨· ἔστι δὲ καθαρτηρίων πηγὴ καὶ κεραυνῶν καὶ διοπτρῶν καὶ τελετῶν καὶ χαρακτήρων καὶ Εὐμενίδων καὶ τελεταρχῶν.

14. Καὶ ἐπὶ μαγειῶν δὲ τρεῖς πατέρες ἀρχικὴν ἔχουσι τάξιν. Ἔστι δὲ καὶ ὀ᾿είρου ζώνη ἀπὸ τῆς πηγαι.ας ψυχῆς τὴν ἀρχὴν ἔχουσα.

15. Ἀναργοῦσι δὲ ταῖς μὲν πρώταις πηγαῖς αἱ πρῶται ἀρχαί, ταῖς δὲ μέσαις αἱ μέσαι, καὶ ταῖς μερικαῖς αἱ τελευταῖαι.

13. 彼らが言うには、創造神の中に感覚の源がある。なぜなら創造神こそが「世界」に感覚を「もたらす」ものだからである。さらに、浄化するもの、雷、鏡、儀礼、性格、エウメニデス、儀礼を司るものの源がある。

14. 魔術についても三つの父が原理の序列を占めている。また、夢の帯があり、魂の源から原理を引き出している。

15. 第一の諸原理は、第一の源に類似する。中間の原理は中間の源に、また末端の原理は個々の源に類似する。

エコー&リスポスタ

久々にまったく未知の曲の数々を堪能。『エコー&リスポスタ – ムーリ修道院付属教会柱廊からのヴィルトゥオーゾ器楽曲』(Echo & Risposta – Virtuoso Instrumental Music from the Galleries of the Abbey Church of Muri / Les Cornets Noirs。収録されている曲は、いずれも初期バロックのころの作曲家たちのようだけれど(イタリア、ドイツ)、ものの見事に一人も知らないという……。うーむ、久々にくらくらする感覚を味わう。けれどもどれも粒ぞろいの器楽曲。ムーリ修道院というのは、スイスはアールガウ州にあるベネディクト会派の修道院とか。そこの付属教会の建築は音響的に優れているとされ、またオルガンも有名なのだという。なるほどね。この盤はSACDサラウンドのハイブリッド盤なのだけれど、普通のCDで聴く限りはそういう音の立体感のようなものは伝わってこない……(涙)。うーん、やはりSACDでサラウンドでなければダメかなあ、と。とはいえそれぞれの曲は、初期バロックの移行期の作品だけあって(というか、様式というのは絶えず移行しているわけだけれど)とても面白いし演奏も端正でいい感じ。とりあえずはこれだけで結構満足。奏者はレ・コルネ・ノワールというグループ。ツィンク(コルネット?)、バイオリン、ファゴット、トロンボーン、それに教会内の二台のオルガン(左右をそれぞれ福音書側、書簡側というだっけ)という構成。