プラトンの初期対話篇の一つ『クラテュロス』をLoeb版(Cratylus. Parmenides. Greater Hippias. Lesser Hippias (Loeb Classical Library), Harvard Univ. Press, 1926-39)で読んでいる。現在ほぼ折り返しのあたりぐらいのところまで。とりあえずメモ。名前の正しさについてという副題が示すように、名前(名称)とは何かという問題をめぐる対話篇。クラテュロスが、名前は普遍的に決まっているとするのに対し、ヘルモゲネスがそれは社会的に約束事として決まっているという立場を取り、ソクラテスがそこに加わって持論を展開していく。とはいえ、クラテュロスとヘルモゲネスのいずれかに軍配が上がるのかには今のところ決着はつかず、ソクラテスは両者の折衷的なスタンスを取っているようにも見える。全体はほとんどヘルモゲネスとソクラテスの対話で進んでいき(後ろのほうではクラテュロスとの対話になるようだが)、いつしか話は、神々の名前、天体、元素、時節を表す名詞、あるいは価値を表す形容詞などの、語源の話に移っていく。
ひたすらギリシア語での話になっているが、ソクラテスの方法論は割と一貫していて、より古いギリシア語古形にこそ語源があると考え(このあたり、多少強引に民間語源的な説明をつけているような部分もあるが)、そこから文字の付加もしくは削除、置き換えなどを通じて、当代(対話がなされている時代)のギリシア語の語彙になっていると推測している。何気に面白いのは、(細かい話なのだけれど)その具体的な語源の議論。たとえば「みにくい(αἰσχρός)」という語には、「命名者」(ここではソクラテスはそういう特定者を想定している)による「流れ(ῥοῆ)」の阻害への非難がくみ取れるとされ、「つねに流れを阻む(ἀεὶ ῖσχοντι τὸν ῥοῦν)」がその語源になっていると記されたりする。同じように、「有害な(βλαβερὸν)」も、「流れを阻害しようとする(βουλόμενον ἅπτειν ῥοῦν)」が語源であるとされたりする。なにやら、流れもしくは正常に流れていくことに関わるテーマが、垣間見えるようにも思われる。ソクラテスが展開する語源分析そのものは、あまり研究の対象になっていないような印象なのだけれど(?)、こんな感じで案外面白い問題を含んでいるかも、なんて妄想したりもする。