この数日はほとんどとんぼ返りの帰省でいろいろと疲れる……。こういう時は、やはり本に没頭するに限るかも(苦笑)。暑気払いの意味も込めて、夏読書に取りかかろう。というわけで第一弾は、トゥーリオ・グレゴリーの論集『自然の鑑 – 中世思想探索』(Tulio Gregory, “Speculum naturale – percorsi del pensiero medievale”, Edizioni di storia e letteratura, 2007)。まだとりあえず、「自然と惑星の性質」(Natura e ‘Qualitas Planetarum’)という一章を眺めただけだけれど、これがまた、なんとも魅力的。天空が地上世界に影響するという占星術的な考え方の伝播・拡がりを、12世紀から15世紀にかけてのスパンで描き出したもの。うーん、なかなか勉強になる。こういう長いスパンを取って個別の事象をめぐっていくというのはグレゴリーのスタイルなのかしら。個人的にはとりわけ、聖書のコスモロジーとアリストテレス自然学の摺り合わせは創世記よりも終末論に絡んで複雑になるという指摘に、突かれる思いがした。うーん、終末論絡みで自然学がどうなるかというあたりはスルーしてきたなあ、と改めて思う。で、そこでもまた、ペトルス・ロンバルドゥス『命題集』の四巻が重要らしい。で、ボナヴェントゥラ、ミドルタウンのリカルドゥス、トマス・アクィナスのそれへの注釈が簡単に紹介されている。そのうちチェックしておかなくては(笑)。
さらにスアレスは、神がもたらす絶対的な可能態という意味での絶対的可能性を肯定的なものとする(否定的定義に対立する)。つまりそれは無ではない何かであって、しかもそれは神という絶対的な力によって担保される何かということになる。また、角度を変えて今度はその神の端的な知性が可能態をいかに認識するのかということを思い描くと、可能態そのものにはやはりなんらかの内在的な現実がなくてはならないということになる。スアレスはそれを「存在に向かう性向」(aptitudo ad existendum)と称する。これが著者の言うところの「モノ性」だ。スアレスにおいて、こうした可能的存在は、理性的存在(理性が捉えた存在)に対して、実在しうるという意味での余剰性を持つのだけれど、著者によれば、それはほとんど無に近いような余剰性だ。けれども、かくして導入されたこのわずかな実在性・現実性が、形而上学の転換という大きなギアチェンジをもたらすことになる……(?)