久々の文学論

久々に文学ものの本格的論考を読む。ラブレー論。折井穂積『パニュルジュの剣 – ラブレーとルネサンス文学の秘法』(岩波書店、2009)。いわゆる構造分析なのだけれど、従来はせいぜいフォークロア研究などで小さく使うことが多かった手法を、ここでは大胆にラブレーの『パンタグリュエル』から『第三の書』と、それが影響を受けたであろうとされるクレマン・マロの詩、マルグリット・ド・ナヴァールの詩に適用して、結果的にとても面白い問題系が浮かび上がっている。いや、お見事。絵画などにパラレルに見られる作品構造としての対称性に着目して、そこからラブレーの『第三の書』に、地獄めぐりのモチーフを見出し、さらに一種の性表現や、霊的な戦いについての思想が、絵画で言うステガノグラフィー(隠匿記法)として埋め込まれている様を明らかにする……というもの。もちろん、こうした分析は状況証拠の積み重ねの上に成り立っているわけだけれど、このように三種のテキストそれぞれの対称構造が示されると、ある種の迫力・説得力がある。そうした対称構造への当時の「こだわり」は、たとえばルネサンス期の楽譜などにも時に見られるわけで(ルイス・ミランとかね)、文学にそれが持ち込まれない理由は見あたらないように思われる(ま、ラブレーを専門でやっている人が読めばまた違う評価になるのかもしれないけれど)。仮に文学もそうであるなら、思想系のテキストはどうなのかしら、とふと思ったりもする。

余談1:ラブレーといえば、白水社からマイケル・A・スクリーチ『ラブレー – 笑いと叡智のルネサンス』(平野隆文訳)というのが出たようなのだけれど、この値段を見てびっくり。1000ページ近いとはいえ、2万円超とは……。これではちょっと手軽に見てみたいとはいかないじゃないの……。とりあえず目次のPDFだけ落として眺めてみると、こりゃかなり細かい注釈書のよう。

余談2:マルグリット・ド・ナヴァールの『牢獄』に、「神とは無限の円である。その中心はいたるところにあり、円周はどこにもない」という定義が出てくるそうで、なにやらクザーヌスを彷彿とさせるこの一節、出典は『24人の哲学者の書』という12世紀の偽ヘルメス文書だという注があるのだけれど、なんと、ちょうどフランスのJ.Vrin社から、羅仏対訳本(“Le livre des vingt-quatre philosophes – Résurgence d’un texte du IVe siècle”)が出たらしい。しかもこれ、マリウス・ヴィクトリヌスの先行テキストを再浮上させたテキストだという新知見が盛り込まれているらしい。こりゃ面白そうだ!