13世紀ごろに出回っていたピロポノスのラテン語訳は、アリストテレスの『霊魂論』第三巻への注解だった(苦笑)。定番の参照本、ジルソンの『中世の哲学』(E. Gilson, “La philosophie au Moyen Age”, Payot & Rivages 1999)にちゃんと言及されていた。メルベケのギヨームによる1268年のラテン語訳。トマス・アクィナスが目にした可能性も当然あるという。ボナヴェントゥラが参照したというのもこれかしら?その点については言及はないようだけれど……。また、『自然学』注解のラテン語訳の存在もやはり不明。うーん、やはりかなり後になってからなのか、それとも13世紀ごろの訳書は散逸してしまっているだけなのか……?
ちなみにこれも定番の『ケンブリッジ中世後期哲学史』(メルベケの訳本への言及はそちらでも確認可)などは、今やグーグルのブック検索で一部公開になっている(“The Cambridge History of Later Medieval Philosophy”)。ブック検索の基本は絶版本という話だったけれど、あれれ、これはどうなっているのかしら?例の強引とされた和解のせいで閲覧可能になっているわけ?確かに全ページではないけれど、うーん……。ブック検索、便利だから使わない手はないし、学術書などの公開は原則としてもっと幅広く行われてほしいと思うのはやまやまだけれど、なにかこう今ひとつすっきりしないのは、こういう市販されている本の扱いがちょっと怪しいからか……。ちょうど日本の中小の出版社がブック検索の和解案を蹴ったニュースが出ていたけれど(Internet Watchとか)、やはりそのあたりが問題になっているようだ。もっとも、少部数の学術書などは本来、別のスキームが必要に思えたりもする。学術書や論文などは、学術的価値などから考えて部分的公開でいいから迅速になされたほうがよい気もする。もちろん、権利者のなんらかの同意は必要だろうけれど。いずれにしても十把一絡げで対応しようというのはそろそろ限界なんではないかしら、と。
Philoponus は,Averroes がコメンタリーの中で名前(Johannes Grammaticus)をあげて言及していたりするので,Philoponus 自身の著作がラテン語訳されていなくても,十三世紀の神学者は Averroes を通して彼の言説を知ることができたというケースもあります.
それはありますね。ドクソグラフィー方面も目配せしないといけないのでした。受容史はハマりだすと結構大変ですが、まあ、ぼちぼちと見ていきたいと思います(笑)。
検索済みでしょうが
http://hiphi.ubbcluj.ro/fam/texte/ioan_philopon/comm.htm
それになんだか大層ですが...これが最新文献集でしょうか
Cfr. C. D’Ancona, Degrees of Abstraction in Avicenna, How to combine Aristotle’s De Anima and the Enneades, in AA.VV., Theories of Perception in Medieval and Early Modern Philosophy, 2008, p.54のnota20中段から
Googleブック検索でみられます(アドレスは長いので省略)
ありがとうございます。同じものの.doc版がDocumenta Catholica Omniaにもあるのですが、そちらには1115〜1180年という存命期間が付されていて混乱します。そのサイトが何か別人と混同している印象ですが……(笑)。ピロポノスの霊魂論注解のラテン語訳は、かなり意訳したものだという話で、Gallicaにある注解書(Commentaria in Aristotelem Graeca, XV)と少しだけ見比べてみましたが、確かに大筋では従っているものの、細かいところは大部違う印象です。訳というより、要約というかパラフレーズというか。……ってそのことは、ご紹介いただいたその注に書いてありますね(苦笑)。文献表にそっていろいろ見てみたいと思います。