昨日だけれど、エルヴェ・ニケ&コンセール・スピリチュエルの公演に行く。確か一昨年だったかに、フランス国内の助成金縮小の煽りを受けてだったか、彼らの来日公演が取りやめになったことがあった。その意味でも今回は待望の来日。で、出し物は例の絶賛されたヘンデル「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」を中心とした構成。前半が前者のダンドリュー「戦争の描写」に続き第1、第2組曲。後半が「合奏協奏曲」からの抜粋に続き第3組曲、そして「花火」とくる。大きな編成なので、それほど小さいわけでもないホールにド迫力サウンドが響き渡っていたのが前半。テンポ設定も速い速い!それでも個人的にはなんだかどっと疲れが出て睡魔が……(苦笑)。で、後半冒頭の「合奏協奏曲」はうって変わって流れるようなしなやかな演奏に。うーん、彼ら本来の持ち味ってこちらのほうなんでは?その流れの延長という感じで、もとより穏やかな第3組曲がぴたっと決まる、という展開。この好印象は「花火」を経てアンコールにまで持続する形に。ニケは観客への挨拶もそこそこに曲を振り始めるのが印象的だった。つなぎの間もそんなに置かないし。で、28日って本人の誕生日らしく、最後に花束が贈られていた。
これはまた面白い盤。『カイオーニ写本』(Codex Caioni: Un Jour de Noce en Transylvanie / Jean-Christophe Frisch, Ensemble XVIII-21)(Arion、ARN68785)。17世紀後半に司教として活躍し、その音楽家としての才でもルーマニア初というほどの名声を各地に残したというヨハネス・カイオーニ。トランシルバニア地方の修道院にあったというその写本から、村の婚礼をテーマに曲を再構成したものらしい。ライナーによれば、同写本には実に様々な要素が見られるのだといい(17世紀のトランシルバニアは、ハプスブルク家のオーストリアとオスマン帝国との狭間にあって、文化的には比較的繁栄していたという)、実際この盤でも、16世紀のプレトリウス、17世紀中盤ごろのカリッシミなどの曲が入っているほか、当然ながら伝統的な舞曲なども収録している。いずれも久々にヴィヴィッドな演奏を聴かせてもらった感じ(このところ、買う盤がどれもちょっとイマイチだったせいもあって)。演奏はジャン=クリストフ・フリッシュとXVIII-21 Le Baroque Nomadeという集団。この作品をベースにツアーをしているようで、公式サイトもある。
さて、ジャケット絵は野ウサギの絵。カイオーニは「野ウサギ」になぞらえられていたということで、実際、1曲目は「Lepus intra sata(耕地のウサギ)」だし、ジャケット絵もそれにならっている。で、この絵、すっごいリアリズム(?)とか思っていたら、これ、アルブレヒト・デューラーによる1502年の絵なのだそうで。ウィーンのアルベルティーナ美術館所蔵の水彩画。
うーむ、と思わず低く唸ってしまったのが、最近聴いた『バッハのラウテンクラヴィーア』(Bachs Lautenclavier -Prelude, Fuga & Allegro BWV.998, Lute Suites BWV.997, BWV.995, BWV.1006a / Peter Waldner [CD+DVD])。バッハの遺品の中にあったとされるラウテンクラヴィーアは、現物は残っていないのだそうだけれど、リュートの音色が出せる鍵盤楽器ということで、おそらくバッハはそれでリュート用の曲を楽しんでいたのだろうとか言われている。で、本作はその復元楽器でもって演奏したバッハの「リュート向け」作品集。思わず低く唸ったのというのは、やはりこれはあくまで鍵盤楽器だなあ、という感じだから。音が細めのチェンバロという感じだ。リュートで出せる繊細なタッチは吹き飛んでしまい(苦笑)、溜めも何もなく、ひたすら音がタタタと鳴っていく……とまあ、最初はそう思っていたのだけれど、最後の組曲ホ長調あたりになると、こちらも馴れたのか、そこそこ聴ける感じに(笑)。でもまあ、やはりバッハはラウテンクラヴィーアというよりはリュートを念頭に置いていたはずで……なんてつい思ってしまうよなあ。
このCD、実はおまけのDVDがついている。PALなのでパソコンでしか再生できないけれど、ペーター・ヴァルトナーの演奏が見られる。ま、あくまでおまけという風の20分くらいの映像だけれど、それを見ると、このラウテンクラヴィーア、チェンバロの筐体にナイロン弦を張っただけみたいに見えなくもない(笑)。それにしてもヴァルトナーという人は、上半身をえらくうねらせて弾いているなあ、と……。
昨日はまたも例年のビウエラ講習会に出かける。ムダーラの「コンデ・クラロス」で受講(あいかわらずルネサンス・リュートで)するも、最後の受講生コンサートで大いにコケる(爆笑)。最近こういうパターンが多いなあ。演奏ストップから曲の中途解体まで、弦が切れるとかの物理的トラブル以外の悲惨な事態はほとんど一通り経験しつつある。で、おかげで人前で弾くときの緊張感もだいぶ薄らいだものの、ちゃんと人前で聴かせられるようになるには、長い時間がかかるなあと認識を新たにしているところ……。ま、それはともかく。
あれれ、クールダウン曲も今回はいまいち……か?『ハカラス!--サンチャゴ・デ・ムルシアの18世紀スペイン・ギター音楽』という一枚。98年発売のものの再販売らしい。ポール・オデットがバロックギターを弾き、なんとまあ、アンドリュー・ローレンス=キングがハープとプサルテリー、ペドロ・エステバンのパーカッションほかという、なかなかの取り合わせ……なのだけれど、うーん、なんかちょっとこれ、どこか「もっさり」(笑)した印象。18世紀のスペインともなると、理知的で様式美あふれるビウエラ曲から、もっと即興的かつ先鋭的な(というか単純化されていくというか)舞曲へと移行していくのだというけれど、この収録曲はその移行期にあたるのか、どちらにも成りきっていない感じで、個人的にはちょっと脱力してしまう感じ。テンポ設定もなんだかノリが悪いような(?)。それに録音レベルがやたら低い(ボリュームをかなり上げないとちゃんと聞こえんよ)。ちなみにタイトルのハカラは民族舞踊の名称でもあるけれど、同時に夜中に騒ぐ連中のことでもある。
そのせいか、ジャケット絵はゴヤの『鰯の埋葬』。鰯の埋葬というのは、スペインで灰の水曜に行われるフェスティバル。肉の代わりに鰯を食するっていうので、それを弔うのだとか。
そういえば、どこか鰯を連想させる首相が辞任だそうで……。Le Mondeの速報メールでも伝えている。
最近よく見かける古楽器の新鋭(変な言い方だが)はヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ。その名のごとく肩にかけてヴァイオリンみたいなポジションで弾くというもの。失われた楽器だけれど、このところ復元を経て復興目覚ましいようで……というわけで、寺神戸亮によるその楽器での演奏を聴く。『J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲/寺神戸亮 [SACD Hybrid]』。この時代の組曲は当然ながら舞曲の組み合わせなのだけれど、なるほど普通のチェロでの演奏よりもどこかヴィヴィッドに舞曲らしさを出している……ように響く感じ。実際ライナーにも、弾きやすいので曲の性格をちゃんと出しやすい、みたいなことが書いてある。早いパッセージや装飾などが楽なのだとか、ただしハイポジションは使いにくくなってしまうのだとか。なるほど〜。
この楽器が存在した証拠は文献学的にも図像学的にもいろいろあるのだそうで、ライナーの末尾に、ドニ・ゴーティエ(げげ、有名なリュートの作曲家でないの!)の曲集『神々の修辞学』の挿絵が掲載されている。ここにも再録しておこう。
ソースはこちら。『神々の修辞学』のタブラチュア(バロックリュート用)が挿絵とともに置かれている。うん、ゴーティエの作品も面白そう。そのうちぜひ弾いてみよう(まだ先だが……笑)。
酷暑も一休みという感じのこの二日で、ちょいとルイ14世もののCDを聴く……けれどもどうも最近、声楽曲がどうもピンとこない。器楽曲の方についつい注意が行ってしまう感じ。そんなわけで、まずはジョヴァンニ・ロヴェッタの『ルイ14世の誕生のためのヴェネツィアの晩祷』(HMA 1951706)を聴くも、ユングヘーネル指揮、カントゥス・ケルンの職人技にもかかわらず、声楽部分よりも間に2曲入っている器楽曲のソナタ(5番と1番)の方にはまる……。コルネットの細やかな動きのパフォーマンスが華麗だなあ、と。収録曲の中心となるのは、1638年に在ヴェネツィアのフランス大使が、王位継承者の誕生を祝うべく、モンテヴェルディの片腕だったというロヴェッタに作曲を依頼したミサ曲。とはいえミサ全曲の再構成というわけではないのだそうで。
もう一つはユーゴ・レーヌ指揮、マレ交響楽団による、朗読付きの『ルイ14世の婚礼の音楽』(ACCORD 442 9894)(Musiques pour le Mariage de Louis XIV / Hugo Reyne, La Simphonie du Marais)。2枚組CDで、リュリとカヴァッリの音楽で構成された企画盤。リュリの作品の録音シリーズの1枚。ルイ14世とマリー・テレーズとの結婚(1660年)については、その当日に演奏された曲目などは不明なのだそうで、このCDの収録曲はその前後のリュリ作品をフィーチャーしたもの。2枚目はカヴァッリの「恋するエルコレ」と、それに挿入されたリュリのバレエ「恋するヘラクレス」。うーん、2枚とも、この朗読は別に要らない感じもする(苦笑)。そういうパフォーマンスも以前は結構良いと思っていたけれど、なんだか音楽の勢いが殺がれるようで、ちょっとノレなくなってしまう、みたいな。というわけで、iTunesあたりに取り込んで朗読部分をカットしたりして楽しむのが個人的にはお薦めかも(笑)。
---追記
ジャケット絵を掲げるのを忘れていた。「ルイ14世とマリー=テレーズの婚礼」というもので、作者はローモニエ(Laumosnier)となっている。この人物は1690年から1725年にかけて活躍という以外、ちょっと情報がない。また、これはシャルル・ル・ブラン(ルイ14世付きの首席画家)と、ファン・デル・メウレンに基づく作とされる。ル・ブランの弟子筋かなにかかしら?ちょっと謎。
これまた久々に、エルヴェ・ニケとル・コンセール・スピリチュエルの演奏を聴く。なんとまあ、マラン・マレの音楽劇(tragédie lyrique)『セメレ』(Glossa、GCD921614)。ヴィオールものばかりが取り上げられるマレだけれど、なるほどオペラ(というか、音楽劇。CDの帯には音楽悲劇となっているけれど、音楽悲劇ってちょっと訳しすぎな感じもする)も4作品ほどあるのだという。なるほどねえ。一番有名なのは3作目の『アルシオーヌ』なのだそうだが、これはそれに続く4作目。1709年の作で、なかなかの円熟味という感じなのだが、まあそれは同作の復元作業と、ニケによるダイナミックな解釈と指揮の為せる業なのかもしれない。5幕の形式で、音楽的にも表現されている幕ごとのトーンの違いがとても興味深い。1幕の華やかさ、2幕の哀愁などなど。内容は、テーベの王カドモスの娘セメレとその恋人となるユピテル神、さらに政略結婚の相手アドラストゥスの三角関係。これ、原作はオウィディウスの『変身物語』の一節だけれど、そちらではアドラストゥスは登場せず、ユピテルの妻ユノーの復讐劇ということになっている。いずれにしても、セメレがユピテルにねだった「贈り物」によってセメレが命を落とすという結末は一緒で、こちらではアドラストゥスも末尾で没してしまう。本作は、ボーヌの音楽祭に続き、パリやモンペリエなどで上演されたものとか。未知の音楽劇を聴くときにはいつもそうだけれど、どんな舞台だったのだろうなあと想像しながらCDに耳を傾ける2時間超だ。
昨日は個人的な「夏祭り」。つまり毎年恒例のリュート講習会に参加したという話。今年はバロックリュートでロベール・ド・ヴィゼーのロンドー「La Montfermeil」(小品ながらちょっと面白い一曲)に挑戦……って、低音弦を弾く親指がさっぱりハマらず、テンポ設定を限りなく遅くすることに(ほとんど曲が体をなすぎりぎりの遅速……トホホ)。でも、遅くするとそれなりに親指はハマるということが改めて実感できたのは収穫。とりあえず、その点だけはやっぱり馴れの問題なんだなあ、と。
今年のクールダウンは例のドイツとフランスのHMV50周年記念ボックスからそれぞれいくつかを聴いてすごす。ノーマークだったうち、なかなか良いのがゼレンカの「幼子のミサ」(ストゥットガルト室内管弦楽団、ターフェルムジーク・バロック・オーケストラ)。これはなかなか感動的な一枚。それから久々にフランソワ・クープランの「教区のミサ」。ミシェル・シャピュイのオルガン演奏。これも名盤の風格。
……なんてことを思ってタワーレコードとか見ていたら、なんと今度は60枚入りのボックスでバロック名曲集みたいなのが出るという情報が!(Baroque Materpieces -60CD Limited Edition [60CD+CD-ROM] [Limited])オンラインでの予約購入だと60枚で6000円を切っているので、一枚100円を割り込んでいる。うーん、いったいこの大盤振る舞いはどうなっているんだろう?約20枚はバッハだし、これもやっぱり買いかしら(苦笑)。
これはまた渋い一枚。『パッサカリア--バッハのBWV582、5バージョン』(Christophorus、CHR 77292)。バッハ唯一の「パッサカリア」を、なんと5つのバージョン(編曲)で聴くという企画もの。登場するのは、オリジナル版、ウージェーヌ・アルベール編、リスト/テプファー編、レーガー編、ストコフスキー編の5つ。それぞれに奏者も楽器も違うという熱の入れよう。オリジナル版は18世紀のオルガンでの演奏だし、同じくオルガン版のリスト/テプファー編は19世紀のロマンティックオルガンでの表現。とくにこの後者の演奏にはちょっと圧倒される。オルガンは時代によってかなり変化が激しい楽器と聞くけれど、これはもうそういう対比とかそういうものにとどまらない奥深さ。いや〜、これまた企画ものとして成功した一例というところか。ライナーによると、バッハ時代のパッサカリアはシャコンヌとのペアもしくは比較で語られるのが普通だったというのだけれど、ともに18世紀初頭のヴァルターとマッテゾンとではパッサカリアの定義が微妙に違っているのだそうで(テンポとか)、いずれにしても本来はスペインからイタリアに入った街場の舞曲だったパッサカリアは、ここへきて完全に別ジャンルになっているというわけか……。
バッハついでながら、来年の東京のフォル・ジュルネはテーマがバッハだそうで、やっとバロックもの。本場ナントが先にそのテーマを発表していたので、実は予想どおり。となれば、こういう企画ものも聴けるのかしら、と期待してしまう。でもま、1時間程度のコンサートを多数やるというコンセプトでは、受難曲は難しそうだし、カンタータあたりが主になるのかしら、それにしてもオルガンはどうするのか、古楽系の奏者はどれほど参加するのかなどなど、いろいろと想像が膨らむ。さて、どんなものになるのやら。
著名なリュート奏者、佐藤豊彦氏による新譜『リュートの飾り棚』(Nostalgia 0701)を聞く。こちらに情報&インタビュー映像が。ルサージュ・デ・リシェーという17世紀の作曲家・リュート奏者の作品の世界初録音なのだそうで、今回も400年前のオリジナル楽器「グライフ」での演奏。ガット弦なのだそうだけれど、いやー、この音の伸び方はなかなか。ガット弦のポコポコいう印象がちょっと修正される(苦笑)。ライナーに記されているのだけれど、ガット弦を使う場合には、右手の撥弦ポジションが、当時の絵画などに描かれているようなブリッジ手前になるのだとか(普通のナイロンならロゼッタ(穴の部分)後方にかかるあたりなのだけれど)。なるほど。
さてこのルサージュ・デ・リシェー。フランス人なのだけれど、ドイツで活躍した人物らしく、ドイツ読みということで、deを「デ」で表記しているのだそうだが、うーん、「ド」とか「ドゥ」の表記でいいようにも思えるのだけれど……。シャルル・ムートンの弟子なのだそうだけれど、聴いた印象では、曲としてはフランスものとドイツものとの折衷的な様式かな、という気がした。一般論では、バロックの「歪んだ」感じを色濃く出すのがフランスものだとすれば、剛直に「型」を出してくるのがドイツという感じだけれど、これは両者を合わせ持った感じの曲想ということ。佐藤氏はそれをどちらかというとフランス寄りのスタンスで弾いている印象(?)。なかなか面白いなあ、と。
春先にあわせて(?)モンテヴェルディ。ラ・ヴェネクシアーナによる『マドリガーレ集第5巻(Quinto Libro dei Madrigali)』。マドリガーレ集の中でもひときわ重要なのがこの5巻(でも録音はむしろ第8集などのほうが多い気がするのだけれど……)。なにしろこれは、ジョヴァンニ・マリア・アルトゥージとの間で論争があったせいで、「バロック時代の始まり」なんて言い方がされりもする曲集(1605年の刊)。モンテヴェルディはこの5巻の序で、有名な第二作法(第一作法はポリフォニー的・対位法的な演奏、第二作法はより自由な対位法を用い、モノディへと通じる演奏)を論じ、「不協和への準備や解決を守っていない」というアルトゥージの批判に対応しているのだという(ライナーより)。なるほど実際に聞いてみると、ところどころの不協和などとても面白い。収録曲は曲集の全部ではないけれど、盤の前半はルネサンスの伝統を強く感じさせるような演奏で(と思う)、端正かつ剛直な感じがなかなかに味わい深く、通奏低音が入る後半は自由度が増すかのような流れになっていて、印象がまた鮮やかに変わる。
昨晩は久々にコンサートへ。初来日のオランダ・バッハ協会によるバッハ「ヨハネ受難曲(初演版)」。いや〜これがなかなか独特な解釈の演奏。基本的にはリフキンのような1人1パート編成なのだけれど、面白いのは合唱をおかず、ソリストを支えるリピエニストなるものを各声部に配して「合唱」に当たらせるというもの。それからたとえばテオルボ(アーチリュート?)が、チェロやオルガンとともにずっと通奏低音に参加していたのも斬新。会場で販売していたパンフレットに記されたフェルトホーヴェン(指揮者)のコメントによれば、バッハの弾き振りにおいて通奏低音は二重・三重になったはずだという説を採用しているとのこと。なるほど。で、演奏はというと、これまた各曲の解釈が独特で、知っているものとはまったく違う曲に聞こえてくる。前に1人1パートを聴いたときも感じたのだけれど、こういう形態では聞き慣れないせいか、時に声部がはっきりしすぎて統一感が薄らぐような印象もところどころ。うーん、ある意味とても斬新なのだけれど……。それと、今回は個人的に勘違いしていたのだけれど、"Herr Unser Herrscher"から始まらないバージョンって第二稿だったのね(そっちを期待してしまっていた:苦笑)。今回の「初演版」は再構成版。同じくパンフレットには、オルガン奏者・音楽学者のデュクセンの解説がなかなか詳しい。後半の流れはなかなかよくて、ラスト40曲目のコラールなどは実に見事に決まっていた。うん、マタイとかロ短ミサとかも聴きたいので、ぜひ再来日を(笑)。
マリア・クリスティーナ・キールとコンチェルト・ソアーヴェによる『聖週間のための哀歌』(HMC 901952)。演奏がどうこうというのを超えて(もちろん端正な美しい演奏だけれど)、ライナーノーツがちょっと参考になる一枚(笑)。いわゆる聖週間の「ルソン・ド・テネブル(暗闇の朝課)」は、クープランとかのものが有名だけれど、これはもともと聖木曜日から土曜日までの「朝方」に歌われるもの。ところが17世紀には慣習的に、これをそれぞれ前日の午後に執り行うようになったのだとか。そのため、それぞれ水曜、木曜、金曜のための哀歌というタイトルが付いたりしたのだそうで。また17世紀にはかなり見せ物的なものになっていたという。なるほど「聖水曜日の」となっていたのはそういうことか。うーん、歌詞としてエレミアの哀歌が使われるようになったのはどのあたりからなのだろう?ライナーには、16世紀にはすでに曲に使われていたとあるばかり(モラーレス、ビクトリア、ラッスス、パレストリーナ)なのだが……。少なくとも独唱になったのは17世紀前半からだと記されている。16世紀末のカヴァリエリはソリストと合唱が交互にくる通奏低音付きのスタイルだけれど、その一方でヴィンチェンツォ・ガリレイ(ガリレオの父ですな)に独唱スタイルの曲があった、という話も紹介されている。このあたり、いろいろと面白そうな問題が転がっている感じ。
収録曲はボローニャの音楽博物館の資料から取ったという様々な作曲家の哀歌の組み合わせ。カリッシミ、フレスコバルディ、パレストリーナ、逸名作曲家など。ロッシのオルガン曲やカプスベルガーのリュート曲も入っている。ジャケット絵はヒエロニモ・ハシント・デ・エスピノサ(スペインはバレンシアで17世紀に活躍した画家)による「マグダナのマリアの悔悛」。これを挙げておこう。
これまた昨年末に購入したアーノンクールの『クリスマス・オラトリオ』(ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、Deutsche Harmonia Mundi)をやっと聴く。2枚組のSACDハイブリッド。うーん、SACDもハイブリッド盤増えてきたなあ。それに最近では、ハイブリッドにせずに、SACDに普通のCD数枚分を収録するなんて使われ方も出てきているみたい。プレーヤーの普及度は印象として今ひとつな感じもするのだが、どうなのだろう……。ま、それはともかく。いや〜、アーノンクールのバッハはかなり久しぶり。「クリスマス・オラトリオ」(BWV 248)の録音は3度目だという話だけれど、期待通りというか、今やまさに正統派アプローチの感動的なパフォーマンスになっている。このド迫力。荘重さ。むちゃくちゃ凄い。いや〜、クリスマス・オラトリオってこんなに良かったっけ、というほど改めて曲の魅力を感じさせる、文句なしの名盤。
バッハといえば昨年秋、田中吉備彦『バッハ傾聴』(法政大学出版局)が復刊されていた。ヨハン・ニコラウス・フォルケルの『ヨハン・セバスティアン・バッハ』全訳と、数編の論考を収録した1973年刊行の改訂版。フォルケルは岩波文庫版とかいくつか訳書があるけれど、これはバッハ没後200年の1950年の前年になされた訳業。まだちゃんと目を通していないけれど、時代の推移と変わらない部分との交錯を感じ取れそうな一冊ではあるなあ、と。
今年の年越しCDは、もはや定番となりつつあるnaiveはopus 111のヴィヴァルディエディションから、『弦楽のための協奏曲集(Concerti per archi)』。演奏はアレッサンドリーニ&コンチェルト・イタリアーノ。いや〜これはなかなかご機嫌なナンバーという感じ。年明けの祝祭気分のBGMにはもってこいだった。華やいだ、テンポの良い曲がこれでもこれでもかという感じで繰り出されるかと思うと、哀調のメロディもしっとりと歌い上げる。こりゃもうお屠蘇と一緒にいただくしか……って今日はもう10日じゃないの。
最近テレビで流れているFINAL FANTASY VのCMには、一瞬だけだがリュートを弾いている登場人物が映し出される。でも、聞くところによると、スーファミ版の昔のFF Vには、竪琴は出てきてもリュートは出てこなかったという話なので、今回のは入れ替えるか何かしたのかしらん。まあ、いずれにしてもリュートが人目に晒される機会が増えるのはなかなか良いことではないかな、と、このあいだリュートの師匠とも話の一致をみた(笑)。
このところ、カナダのリュート奏者ポール・オデットの新作を聴いている。新作はなんとバッハだった。『J.S.Bach: Lute Works Vol.1 / Paul O'Dette』。ルネサンスリュートでは時代考証的に多少難ありの(笑)装飾やアドリブがビシバシ入る印象の強いオデットだけれど、今回はバロックリュートということで、いちおう譜に忠実ではあるようだけれど、この人が弾くとどこかルネサンス的な音色(?)が漂う感じがするのが面白かったりする。全体的な印象としては、昔の(あまり遊びがなかったころの)ダウランド全集みたいな響きか。オデットのバッハもまた、これから進化していくのかもね。曲は組曲ト短調(BWV995)、パルティータ・ホ長調(BWV1006a)、ソナタ・ト短調(BWV1001)。リュートを学びだすと一度ならず耳にするのが、バッハのリュート曲ということになっているものの調の問題。このBWV995の場合、ト短調のままだと、通常の13コースのバロックリュートでは最低音が対応できない。このCDの解説にも、ホプキンソン・スミス(ホピィ)がイ短調への移調することで13コースのリュートでの演奏が可能であることを発見した、と書かれていて、オデットもそれを蹈襲している。また、リュート曲としては無伴奏ヴァイオリン・ソナタ1番(BWV1001)の第二楽章を編曲したフーガ・ト短調(BWV1000)があるけれども、オデットは「残りの部分もフィットするじゃん」とか言い、フルに弾いてしまっている。こういうところが凄いかも(笑)。
それから余談だが、古楽雑誌「アントレ」のWebページがいつの間にか出来ていた(最近知ったばかり)。その扉を飾っているのは、フランドル生まれでイタリアで活躍した画家ニコラ・レニエ(1591〜1667)の『音楽の霊感』。ロサンゼルス郡立美術館所蔵。ミューズらしき人物が天上を指しているのが印象的。ミケランジェロの『アテネの学堂』でやはり天上を指しているプラトン(ダヴィンチがモデルとかいう)を連想させたり。
これは個人的にまったく未知の作曲家。ニコラ・ポルポラ(1686〜1768)。その『死者たちへの夜想曲(Notturni per i defunti)』(Fuga Libera、FUG528)を聴く。11月2日の全死者の祝日を思わせるタイトル(解説によると、実際にそのために作曲された可能性が高いという)は季節的に合っている感じなのだが、この曲調の明るいこと!ノットゥルノという名前から受ける印象とはだいぶ違う感じ。1739年から43年ごろにナポリで作曲されたものというだけあって、実に晴れ晴れとした印象を与える一枚。ラテン語のポルポラのほか、ニコラ・フィオレンツァという作曲家の作品も収録している。さてそのポルポラ、解説によると、いかにも当時の「移動する音楽家たち」を地でいく感じだ。ナポリ生まれながら1737年まではロンドンでヘンデルに肩を並べるオペラ作家として名を馳せ、その後はヴェネツィアに行き、それからナポリに戻って教鞭を執り(上の夜想曲はそのころのもの)、さらにヴヴェネツィアに戻り、その後はザクセン宮廷などにも仕え、さらに1760年頃にナポリに戻ってロレート聖墓音楽院の院長に就任。ここでこの夜想曲が礼拝に再利用されたのだという。うーん、作品と移動性の連関とか、なんだかとても気になるところだったり。
ジャケット絵はほぼ同世代のピエール・ジャック・ヴォレール(1729〜92)による「マッダレーナ橋から見たヴェスヴィオ山」。18世紀にはたびたび噴火していたという話で、ヴォレールなどは連作のような形で作品を残している。ネットに転がっていた一枚を転載しておこう。全死者の祝日は煉獄にいる人々への祈りを捧げる日なだけに、ジャケット絵の選択はその煉獄のイメージということか?
再びバッハ。今回はオルガンによる「ゴルトベルク変奏曲」(ハンスイェルク・アルブレヒト)(OEHMS、 OC625)。SACDハイブリッド盤。オルガンによるゴルトベルク変奏曲というのもないわけではないけれど、この編曲・演奏は実に清新な感触を受ける。基本的にはチェンバロものが好みだけれど、うーん、いいっすね、これ。冊子の曲目解説も実に丁寧に記されている。オルガンはバート・ガンダースハイムという小都市の参事会教会のものとか。なんともいえない浮揚感ただよう音色。
この同じ演奏家は、2006年にはオルガン用編曲でワーグナーの『リング』(OEHMS、OC 612)も出している。オーケストラの迫力にはかなわないものの、こちらも重厚な作りでなかなか面白い (でも端正さという点ではやはりゴルトベルクの圧勝(笑))。
このところ、リュート用のタブラチュア作成ソフトをいじって遊んでいる。DjangoというWindows用のツール。以前バージョン7くらいのころに一度デモ版をダウンロードしたのだけれど、現在はバージョン9.03になってさらに便利になっている。デモ版はセーブができないので、結局購入。80ドルとそこそこ高いけれど、結構便利なのでまあよしとしよう。タブラチュアを入力して5線譜での表示ができるし、同時に両者を編集できる。できたファイルはmidiにも変換できる。ソフトの安定性はやや不安が残る感じだけれど、とりあえず使える。ただし印刷用に同じサイトからフォントをダウンロードしてインストールする必要があった。ちなみにうちのWindowsはXPで、iMac G5上のVirtual PC上で動いている。それなりに重いけれど、このツールは結構軽快。
先週はリュートの師匠による毎年恒例のリサイタルがあった。前半はルネサンスのダウランド、後半はバロックのヴァイス。うん、ダウランドは綺麗な曲、難しい曲のオンパレードだが、誰の演奏を聴いてもどこか人工的な感じが残る気がする……個人的に。なにかこう、内発的なものが今ひとつ見えてこないというか。その点、ヴァイスなどはもっとストレートに情感に迫るものがあるなあ、と。今回のプログラムは組曲ト短調で、渋い曲の数々。手慣れた奥行きのある演奏という感じ。やはり恒例といえば、ロバート・バルトのヴァイスの連作も、もう第8集目(『リュートソナタ、Volume 8』(Naxos))。結構前に出ていたようだったけれど、最近になって入手(タワーレコード:Weiss: Lute Sonatas Vol.8: No.36; No.19; No.34 / Robert Barto)。Naxosライブラリにもあるけれど、やはり手元に置いておきたいなあと。第8集はソナタ36番、19番と渋い曲が続き、それから有名な34番が来るという構成。前作などに比べて、軽やかさが増した印象(?)。
画像はDjangoの起動時に一瞬表示される絵。18世紀の画家ジャン=アントワーヌ・ヴァトーによる『メズタン』。メズタンというのはイタリアの古典喜劇に出てくるキャラ、メッツェティーノ(Mezzetino)だということ。この絵画はニューヨーク市のメトロポリタンミュージアム(MoMA)所蔵とのこと。
プロムスも現地8日でラストナイトとなったようだけれど、なにしろBBCの放送を遡って聴けることを知ったため、以来ちょっと聴きまくり(笑)。古楽関連では、8月23日の、オーケストラ・オブ・エイジ・オブ・エンライトンメントとフライブルク・バロック・オーケストラの競演もなかなか面白い企画(プロムス52)。紹介ページはこちら。レイチェル・ポッジャーとゴットフリート・フォン・デル・ゴルツがそれぞれ指揮およびバイオリンで競演している。ヘンデルの「二つのバイオリン、管弦楽、通奏低音のための協奏曲ト長調」、パーセルの舞曲のアレンジ、再びヘンデルの小品、後半はテレマンの「二つのバイオリン、管弦楽、通奏低音のための組曲ト短調」、そして締めは二大オーケストラによるヘンデル「王宮の花火の音楽」で華やかなフィナーレ。ヘンデルの直球的なわかりやすい旋律と、パーセルやテレマンの快活に踊る音たちとの対比が妙に面白い趣向。休憩を挟んで2時間40分(休憩中は別番組が挿入される)だけれど、お祭りの華やいだ気分を満喫できる。
もう一つ、最近断片的によくかけているのが、渡邉順生演奏の『クリフトフォリ・ピアノで弾くスカルラッティ・ソナタ集』(ALM records、ALCD-1096)。今年はドメニコ・スカルラッティの没後250年だということで、7月23日の命日を中心に1ヶ月ほど、東京のイタリア文化会館などでスカルラッティ音楽祭が開かれたりしたようだけれど、ちょっと予定が合わなくて聴きにいけなかった。で、せめてもの埋め合わせに、このソナタ集を購入したわけだけれど、これ、1726年製作のクリストフォリ(ピアノのハンマーを初めて考案した人物)のピアノのレプリカで録音したというめずらしいもの。スカルラッティのソナタというとチェンバロものが普通だと思うけれど、たしかにこれ、チェンバロよりも音量的に豊かな感じはする。曲自体はどれも華やいだ雰囲気漂うものなので、そのあたりがいっそう引き立つ感じか。なんかこれも、残暑の暑気払いにはなかなかよい一枚かも(笑)。
昨晩は台風通過で、まるでパヴァロッティの死を悼むかのような(というわけでもないだろうが)大荒れの東京。一夜明けての今日、午後になったらなんだかえらく穏やかだ……。さてさて本題は英国の夏好例のお祭り、プロムス。今年は鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)も参加という話だったのだけれど、8月上旬の放送のストリーミングはBBCの公式サイトからは一週間で引っ込められてしまい、後から知って口惜しい思いをしていた。ところが、なんとこれ、ramファイルはちゃんと残っていることが判明。プロムスでの番号さえわかれば今のところまだ聞けるではないか!BCJは34番。ということで、リアルプレーヤーがインストールしてある環境で、ブラウザでhttp://www.bbc.co.uk/proms/2007/rams/prom34.ramを直接たたけばよい。プレーヤーのエラーが出ても、気にせずエラーメッセージを閉じて再生ボタンを押せば……ちゃーんと聴けてしまう。これはめちゃ嬉しい。BCJはしばらくご無沙汰だが、この録音を聴くと、かつてのBCJ節みたいなものはすっかり円熟味に変わっていて、なんだか「音のある静謐さ」の次元にまで差し掛かっているような案配。こういう矛盾形容を誘うものこそ、演奏のある種の理想型かもしれないなあ、と。曲目はバッハのカンタータ「わが魂なるイエスよ」(BWV78)、「心せよ、汝の敬神偽りならざるか」(BWV179)、「われは彼の名を告げん」(BWV200)、そして「ミサ曲ト長調」(BWV236)。どれも珠玉の演奏。いや〜、そのうちまたぜひ生演奏で聴きたい。
ヴィヴァルディも久々なら、リュート協奏曲、マンドリン協奏曲も久々。これらを味わえるのが、Naïveのヴィヴァルディ・エディションから出ているリスレヴァンの『マンドリンとリュートの音楽(Musica per mandolino e liuto)』。「マンドリン協奏曲ハ長調」(RV425)や、「リュート協奏曲ニ長調」(RV93)などを聴くとわかるけれど、微妙な装飾で飾り立てた感じなのはおそらく好みの分かれるところ。個人的にはそれほどわるくないと思ったけれど、こういうのがリスレヴァン節というところか。どことなく軽妙で、どことなくリズム感が協調されて、どことなく遊び心を感じさせる演奏。リスレヴァンはリュートのほかバロックギター、マンドリンを弾きこなしている。それにしてもこの、女優さんだかモデルさんだかをジャケットにあしらったヴィヴァルディ・エディション、結構面白いものがたくさん出ているので、いろいろ入手したいところ。
5、6年前に文庫で買って、最初のほうをちょろっと読んでそのままになっていた山之口洋『オルガニスト』(新潮文庫)を、つい最近読了(苦笑)。全編にわたってバッハが鳴り響いているような感じの小説だ。おしまいのほうはなんだかSFチックになってしまうけれど、やはり天才的な演奏家の卵を回想していく前半に引き込まれる。オルガンの内部構造の解説や曲についての蘊蓄の数々など、なかなか手の込んだ作品ではある。
……で、こんなのを読むと、やっぱりオルガン曲を聴きたくなるのが人情。ちょうど、最近アルヒーフから出たヘルムート・ヴァルヒャによる『フーガの技法』が手元に。56年の初期のステレオ録音のものを、ヴァルヒャ生誕100年の今年に合わせて復刻したものという。歴史的名盤といわれるだけのことはあって、ほとんど夾雑物のない、純粋なバッハの音楽というイメージの一枚だ。上の小説も、ヴァルヒャあたりは当然念頭にあるだろうし。なるほど、優れたオルガン演奏というものが、なにかこう人間業ではないようにすら思える(小さな人間がオルガンの巨大な筐体を操るというのが、そもそも「人間的でない」のだが)という意味でも、オルガンにはどこかフィクショナルなイメージを喚起する力があるように思える。あるときは天上的、あるときは超人的、あるいときは機械的、というふうに。ちなみに演奏に使われているオルガンは、オランダ・アルクマールの聖ローレンス教会のものとか。
ちなみに上の『オルガニスト』で重要な役割を当てられている「プレリュードとフーガ、ハ短調」(BWV546)は、Naxosライブラリならたとえばハンス・ファギウスの演奏(バッハ・オルガン音楽全集9)などがある。また、印象的に取り上げられている「四つのデュエット」(BWV802-805)は、コロリオフのピアノ演奏などがある。うーん、確かにこれ、オルガンでやったら確かに面白いだろうなあ、と思ってしまう(笑)。
ハッセ『荒野に燃え立つ蛇(Serpentes ignei in deserto)』(Ambronay)を聞く。演奏はジェローム・コレアス指揮のレ・パラダンという古楽団体と、ヴァレリー・ガベイユ(ソプラノ)ほか。ヨハン・アドルフ・ハッセ(1699〜1783)はN.ボルポラとA.スカルラッティに師事し、まずはイタリアで認められ、それからドレスデンの宮廷歌劇の監督になった人物。この『荒野に燃え立つ蛇』は、イタリアでの名声が広まった1735年ごろ、ないし39年ごろの作とされているようだ。ソプラノ、メゾソプラノ、アルト、カウンターテナーという歌手の布陣で、高音域の華やかなパフォーマンス。曲想も明るく明朗で、粒の揃ったアリアの数々は、聞き覚えのあるような旋律が次々に繰り出される。全体的に快活な印象だ。テキストは『民数記』にもとづくもので、エジプト脱出途中にモーセに不満を漏らした民が、神の放った炎の蛇で命を落とし、後に悔悛した民が神の命令でブロンズの蛇を竿につけさせた(それを見ると、蛇に噛まれても命を落とさない)というエピソードは、ライナーによると反宗教改革期に悔悛とキリストの暗示ということで、数々のオラトリオに採択されたのだという。で、そのテーマは図像にも盛んに取り込まれていたのだそうで、代表作はジャンベッタ・ティエポロのフレスコ画『蛇の災禍』(1735)だという。
というわけで、現在はアカデミア・ギャラリー所蔵のその絵の一部を。
コレギウム・ヴォカーレ・ゲントの演奏によるシュッツ『辞世の曲(白鳥の歌)(opus ultimum)』(HMC 901895.96)を聞く。指揮はおなじみヘレベッヘ。シュッツのほとんど集大成といってよいような本作は、まさに圧倒的な音の伽藍。なにしろ二つの合唱隊による計八声のモテットだし。全体は詩篇119番(岩波版では118)「おきて」に曲をつけたもの。1660年頃、75歳を超えたシュッツは、おのれの葬送曲として、クリストフ・バーンハートに同119番の抜粋への作曲を依頼したのだという。ところが後にシュッツは、みずからその119番全体に曲を付けることになる。さらに詩篇100番「喜びの歌」およびマニフィカートを加えたものが、いわゆる辞世の曲とされる本作。長らく散逸していて、1970年代に再発見され復元されたのだそうだ。
余談ながら「白鳥の歌」というのは、リグリア王キュクノス(Cygnus)が友パエトーンの死を嘆いて白鳥になり、アポロンがそれに歌声を与えたというギリシア神話がもとになっていて、ここから「白鳥が死に際して歌う」という定型句が出来たのだという。最近復刊された高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』(岩波書店)を見ると、白鳥を意味するキュクノスにはいろいろな同名異人がいることがわかる……。
さて、このシュッツの「白鳥の歌」、ジャケットを飾る絵はヒエロニムス・ボス(久々だ)。有名な三連の祭壇画『最後の審判』の左部分「楽園」。ウィーンの美術アカデミー所蔵のもの。
久々にガーディナー+モンテヴェルディ合唱団+イングリッシュ・バロック・ソロイスツによるバッハ。『カンタータ第22集』(SDG 128)。復活祭に関係した教会カンタータ(BWV4、31、66、6、134、145)を収録した2枚組。このシリーズは2000年のバッハイヤーに、各地で教会暦に合わせてカンタータ全曲を演奏するという一大プロジェクトでのライブ録音。すでに23集目も出ている。もはやこれも完全に定番シリーズという感じ。収録曲の選択も、悲しみから喜びへという感じのドラマチックな作り。演奏も凛々しさに溢れている。いいっすね、これも。
ま、復活祭つながりということで(今年のはもう一ヶ月以上前だが)、フィリップ・ヴァルテール『中世の祝祭--伝説・神話・起源』(渡邉浩司・渡邉裕美子訳、原書房)をざっと。キリスト教の祝祭がそれ以前の異教の儀礼・神話を巧みに取り込んだものだとう話はよく聞くものの、具体的な話は意外に少ない気がするのだけれど、これはまさにそういう古代神話(ギリシア・ローマ系、ケルト系、ゲルマン系など)との重層性を掘り下げていこうとする興味深い試み。民間説話に儀礼の照応を読み込むなど、民俗学的・人類学的手法を駆使している。たとえば復活祭のウサギは、本来は異界の住人とされる「野人」の転生した姿だといい(サンタクロースもそう)、その卵も神話的な意味を担っている云々。索引から辞書のように引くこともできそうだ。キリスト教に覆われた古層へとアプローチしていくというのも、とても面白そうではあるものの、なかなかに難しい道だろうなあ、と改めて思う。
同書のカバー絵は表も裏もあの「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」からのもの。裏の絵を再録しておこう。
リュート奏者ロルフ・リズレヴァント(Rolf Lislevand)と各地の古楽演奏家らによる『ヌオヴェ・ムジケ(nuove musiche)』(ECM)を聴く。インプロヴィゼーション主体の「新しい音楽」の創造ということで、ペレグリーニのパッサカリアやカプスベルガー、ピッチーニなどのトッカータを「再構築」する形で大胆な編曲を加え、さらにオリジナルのパッサカリア(アンダルシア風など)を交えてまったく新しい「古楽的」アルバムに仕立てている。どこか北欧のトラッドフォークなどを思わせるサウンド処理。パーカッションの入れ方や、声の入れ方(アリアンナ・サヴァールだ)がとても現代的。古楽という範疇には括れないものの、ある意味で奔放な、新しいサウンドを聴かせることには成功している、といった感じ。こういう演奏もたまにならいい(こういうのだけになってしまうと、それは問題だけれどね)。
今週は久々にコルネットもの。ウィリアム・ドンゴワとコンセール・ブリゼによる『コルネットの黄金時代(L'Âge d'or du cornet à bouquin)』(K617 187 3)。cornet à bouquinというと、15世紀から18世紀くらいまで使われたもの。今で言うコルネット(cornet à piston)は19世紀初頭にフランスで出来たものなのだそうで、それとは別もの。上の3枚組のCDでは、1枚目がイタリアのコルネット曲アンソロジー、2枚目がモンテヴェルディ時代のサン・マルコ聖堂の音楽、3枚目がコルネットとドイツ音楽というテーマ別の編集。1枚目は16世紀ごろの曲が中心で(伝承曲やパレストリーナもののアレンジなど)、まさにコルネットの凛々しさが炸裂する見事な一枚。2枚目になると、コルネットはどこか背後に回り、歌やチェンバロなどが前面に出てくる印象。曲想もどこか陰影を讃えたものになっていくが、それはまあ、教会内での使用ということか。3枚目はブクステフーデの曲集。オルガンが前面に出て、コルネットはさらに色あせている感じ。黄金時代というのが、どこか衰退への扉を開けているような気がするのは、コルネットについても言えることなのかもなあ、と。けれども曲の全体は厳かな感じがいや増す。ウィリアム・ドンゴワという人は名手なのだそうで(知らなかったのだけれど……苦笑)、とくに1枚目のパフォーマンスは猛々しい感じでとてもいい。
古楽ネタも「Viator musicae antiquae」からこっちに引越し。
もう一週間も経ってしまったけれど、今年のエイプリルフールネタで個人的に一番受けたのは、なんといってもリュート奏者・中川祥治氏のヴァイスのネタ。「不実な女(l'infidèle)」というタイトルで知られるヴァイスの名曲が、実は異教徒トルコ人のことを意味していることが確証された、という嘘話。もちろん、この説は実際に存在するし、個人的にもそれに賛同している次第。実際にそういう証拠が出たら面白いなあ、と本気で思ってしまう(笑)。ま、なかなかそうはいかないだろうけどね。
で、これに関連して(というわけでもないのだが)、佐野健二氏の演奏による『L'infidèle』(EMC Records 0011)を聴く。ジャーマン・テオルボによる演奏。心なしか少しくぐもった感じの音になっている気がする。自主製作盤ということなので、録音一発という感じなのだろうか。それでもヴァイスの厚みのある音楽が響きわたる。