Brepolsの近刊情報から

少し前に届いていたBrepolsの近刊案内。相変わらず、いろいろ面白そうな新刊が並んでいる。とりあえず最近の関心に合わせて個人的に気になるものを抜いておくと……。

  • Martin Roch “L’intelligence d’un sens. Odeurs miraculeuses et odorat dans l’Occident du haut Moyen Âge (Ve- VIIIe siècles)”
    「匂い」の歴史なんてとても魅力的なテーマ。聖人伝などに見られる「聖なる香り」を、ほかの文献史料や考古学的成果と突き合わせて検証するものらしい。6月刊行予定。
  • D. Renevey & C. Whitehed (ed.) “Lost in Translation? Actes du colloque de Lausanne 17-21 juillet 2007”
    中世の翻訳をテーマにしたシンポジウムの記録論集。これはぜひ入手したいところ。6月刊
  • C. Kleinhenz & K. Busby (ed.) “Medieval Multilingualism. The Francophone World and its Neighbors”
    フランス、イタリア、英国、低地帯(ベルギー、オランダ、ルクセンブルクなど)の中世の多言語状況についての一冊らしい。とくにフランス語の果たした役割が中心とか。ちょっと期待。5月刊
  • Johannes Philoponos, “De aeternitate mundi – Über die Ewigkeit der Welt” (ed. C. Scholten)
    ピロポノスの「世界の永遠について」希独対訳本。これはぜひ見たい。4月刊
  • B. Bakhouche & S. Luciani (ed), “Lactance: De orificio mundi. Édition et traduction commentée”
    ラクタンティウス(3世紀の教父)による「世界の始まり」の校注・仏訳。これも見たいところだ。5月刊
  • Y.T. Langermann (ed), “Avicenna and his Legacy. A Golden Age of Science and Philosophy”
    アヴィセンナとその後のアラブ圏の思想家についての17編の論文を収録した論文集とか。6月刊
  • B. Decharneux & S. Inowlocki (ed), “Philon d’Alexandrie. Un penseur à l’intersection des cultures gréco-romaine, orientale, juive et chrétienne”
    アレクサンドリアのフィロンについての、こちらも論集。5月刊。

「東京裁判における通訳」

武田珂代子『東京裁判における通訳』(みすず書房、2008)を読む。みすず書房は通訳学関連本をいくつか出し始めていて、改めてちょっと注目かしら。今回の同書は東京裁判の通訳体制の詳細を論じた初の本ということで、なかなか興味深い。ニュルンベルク裁判は同時通訳体制ができていたというけれど、東京裁判は逐語通訳だったのだそうで、通訳そのものは外務省関係者やGHQで翻訳をやっていた人たち、つまりは日本人で、通訳モニター(チェッカー)役に日系二世の人々がたずさわり、その上に言語裁定官という日本語を学んだアメリカ人が就いたのだという。この言語裁定官というのには、日常会話程度しか日本語ができないアメリカ人が就いたりしたのだという。末端にあった日本人の方がはるかに矜恃も能力も上だったという話もあるし。「米軍は敵国の言語をよく学ばせていた」という通説も、もしかしてそれほどのものではなかったのかも、なんてことを思わせたりもする。

同書で一番の読ませどころは、東条英機の裁判記録や音声記録から、通訳業務やモニターの介入、言語的な混乱や対応のディテールを拾ったという第4章。基本的に社会学的な視点でのまとめなので、それぞれの行動や力関係に力点が置かれた記述になっているけれど、これ、見方を変えると通訳が現場で実際に出会う様々な実際的問題の具体例にもなっている。つまり同書で示されている誤訳や訂正などの動きは、今も昔も変わらない通訳技術の問題として検証するにも値するかな、と。個人的には、そういうまとめ方を期待して読んでいたのだけれど……(ぜひ、そういう方向でのまとめも今後お願いしたいところ)。でも、それだと東京裁判の具体像が薄れてしまうわけで、初の研究書としてはこれで良かったのだろうなとも思う。

逃がしたイベントとか……

ありゃま、ちょっと面白そうなイベントを逃してしまった。今週はちょっと立て込んでいたから、どのみち行くのは厳しかったのだけれど……。アヴェロエス主義を扱った著書が良かったエマヌエレ・コッチャ氏が、東大駒場の文献学系シンポに出ていたらしい(こちらのページに情報があったのね)。うーん、残念。お顔を拝み損ねた(苦笑)。

先週は先週で、何年か前から横浜から東京に移ったフランス映画祭とかあったらしい。それの関連でジュリエット・ビノシュとか来日しシアターコクーンでダンスパフォーマンスの公演があった模様。そちらもお顔を拝み損ねた(苦笑)。ちょうどこの間、ホウ・シャオシェンの『レッド・バルーン』をレンタルDVDで観たところ。ビノシュは主人公の少年の母親訳で、中国風人形劇の声優をやっているという役どころだった。でもこの映画で一番目立っていたのは、少年のベビーシッターになった台湾人(笑)。映画を専攻している留学生という役なのだけれど、なんか日常会話で「d’accord(承知したわ)」を連発していた。仏語学習で日常会話やろうとすると、d’accordを連発する癖ってつきやすいかも。個人的にもそうなった時期があって、ある時仕事関連で使っていたら、「そこはd’accordって言う場面じゃないだろ!」とフランス人に怒られたことがあったけなあ。なんだか懐かしいぞ(苦笑)。それにしてもビノシュはいい感じで年齢を重ねているよなあ。作品は少年の日常のスケッチという感じなのだけれど、静かに、あるいはほんの少しだけそこに視線を差し入れてくる大人たちの目が、どこかカメラや風船に重なってくるという微妙さ……。こういうのはパリの風景あってこそ、か。

史料の読ませ方

メルマガのほうでも前に取り上げたのだけれど、和田廣『史料が語るビザンツ世界』(山川出版社、2006)を改めて眺める。これ、普通の通史ではなく、ビザンツの各社会階級の人々(皇帝、宦官、修道士、土地所有者、知識人、庶民、周辺の隣人)についての証言を、それぞれテーマ別に章立てて関連史料を訳出して読ませていくという面白い作りの本になっている。巻末には史料解題として、取り上げたものの校注本なども紹介されている。一種の概説書ではあるのだけれど、史料の読ませ方が巧みで、いろいろな文献の断片を味わうことができる。ビザンツ関連でこういった書籍はほかにちょっと見あたらない気がする。というか、ほかの分野でもあまりない感じ。バリバリの論考とかもいいけれど(出版事情として、そういうのはだんだん出にくくなっている感じがするけれど)、こういうアンソロジー方のまとめ本というのも、もっといろいろ作ってほしい気がする。こういうのが各分野ないし各テーマであれば、当該分野の全体の見取り図が得られるし、具体的な史料の感じも思い描くことができる。教科書っぽく下手に淡々と語られるよりも、こういう書籍のほうがとっかかりとしてもよいのではないか、と思ったり。

エウパリノス・プロジェクト

昨年、ポール・ヴァレリーの「エウパリノス」が清水徹訳で出た岩波文庫版で出た。『エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話』。タイトル通り、三編の対話編が収録されている。プラトンの対話編を模しつつフランス語で書かれた詩的な対話編。前二作は主にソクラテスとパイドロスの対話、もう一作はルクレティウスとティティルスの対話ということで展開する。うーん、こういうのを見ると、逆に次のようなことをやりたくなってくる。つまり、「エウパリノス」「魂と舞踏」の古典ギリシア語訳、「樹についての対話」のラテン語訳を作ってみたい、と(笑)。そう、まさに偽書の夢ですな。でもそのためには、両古典語での作文能力を飛躍的に高めないと。もっぱら読むだけのこれまでの関わり方を見直して、ちゃんとそれなりにアウトプットでき、また『パイドロス』あたりの文体も真似られるようにもっていく、と。まあ、時間も労力もかなりかかるのは間違いないけれど、ぜひとも挑んでみたいものだなあ。もっとも、徒労に終わらないとも限らないのだが……(苦笑)。そんなわけで、題してエウパリノス・プロジェクト、おそらくは牛歩のごとき歩みになるが、ぼちぼちと準備することにしよう。