Blog Archives
- 12月 2nd, 2021 - 流れとしての読書
- 11月 30th, 2021 - 「葉隠れ」的日本
- 11月 16th, 2021 - 言語とノスタルジー
- 11月 15th, 2021 - 能力主義(功績主義)の嘘
- 11月 14th, 2021 - 歴史学の困難
- 11月 4th, 2021 - 通訳と「にわか勉強」
- 11月 2nd, 2021 - 「権力」再定義?
- 10月 26th, 2021 - エミール・ブートルーを読んでみる
- 10月 23rd, 2021 - Early Greek Philosophy IX
- 10月 20th, 2021 - 政治イコール対話
- 10月 5th, 2021 - ヒューム懐疑論の位置づけ
- 10月 3rd, 2021 - 数学的な「美しさ」の功罪?
- 9月 14th, 2021 - 動物の意識という難問
- 8月 27th, 2021 - ヴァナキュラー礼賛
- 8月 19th, 2021 - さわる/ふれる
- 8月 14th, 2021 - Early Greek Philosophy VII
- 8月 11th, 2021 - 計算が遍在する時代
- 8月 2nd, 2021 - 古代の言霊信仰をどう捉えるか
- 7月 31st, 2021 - 中国の思想的伝統と「美」
- 7月 27th, 2021 - 小説:『ビア・マーグス』
- 7月 17th, 2021 - 書籍:『土とワイン』
- 7月 4th, 2021 - 書籍:『旅ごころはリュートに乗って』
- 7月 1st, 2021 - 書籍:『武器を持たないチョウの戦い方』
- 6月 30th, 2021 - 『驚きの化学(Étonnante chimie)』
- 6月 26th, 2021 - Early Greek Philisophy VI
- 6月 22nd, 2021 - 哲学者と老境
- 6月 17th, 2021 - 工学とベルクソン
- 5月 25th, 2021 - Early Greek Philisophy V
- 5月 21st, 2021 - 【書籍】失敗の本質
- 5月 13th, 2021 - 【書籍】自由意志の向こう側
- 4月 25th, 2021 - 【書籍】ヴァレリー 芸術と身体の哲学
- 4月 20th, 2021 - 人新世と経済
- 4月 18th, 2021 - 【書籍】ゲーデルの悪霊たち
- 4月 12th, 2021 - 【書籍】西洋音楽の正体
- 3月 25th, 2021 - 【書籍】ソウル・ハンターズ
- 3月 17th, 2021 - Early Greek Philosophy IV
- 3月 10th, 2021 - 【書籍】情念の経済学
- 3月 8th, 2021 - “Les fondations du Savoir historique”
- 8月 31st, 2020 - 流用・逸脱としてのアート
- 8月 12th, 2020 - 天候の前兆とテオフラストス
- 8月 2nd, 2020 - ナッジ本
- 7月 26th, 2020 - デリバティブと分人
- 7月 14th, 2020 - バディウのプラトン回帰について
- 7月 4th, 2020 - 老いの現象学?
- 6月 14th, 2020 - 数値/客観性≒科学/官僚機構?
- 6月 7th, 2020 - 民主主義の冒険のために
- 6月 2nd, 2020 - ティモン
- 5月 23rd, 2020 - 古代ギリシア残照
- 5月 16th, 2020 - 雑感
- 5月 1st, 2020 - 概念は分裂を呼ぶ……
- 4月 24th, 2020 - ゼノン
- 4月 18th, 2020 - ローマのギリシア人
- 4月 11th, 2020 - 批評の捉え方
- 4月 4th, 2020 - ソール・ライター
- 3月 26th, 2020 - 応酬へ?
- 3月 19th, 2020 - 現在という謎(そして時間という謎)
- 3月 12th, 2020 - 普遍と個物再び
- 3月 4th, 2020 - 歴史記述の諸問題
- 2月 27th, 2020 - 個体化論は哲学を書き換えうるか
- 2月 21st, 2020 - 自然概念の変遷へ
- 2月 14th, 2020 - ホワイトヘッド再訪
- 2月 11th, 2020 - 日常感覚vs科学的見識
- 2月 3rd, 2020 - 構成主義vs本質主義
- 1月 30th, 2020 - 『アテナイの国制』をめぐる謎
- 1月 24th, 2020 - ポロック論メモ
- 1月 18th, 2020 - 絵画もまた思想を語る
- 1月 13th, 2020 - 経験知・暗黙知と理想化
- 1月 8th, 2020 - 巨大数が引き寄せるもの
- 1月 2nd, 2020 - 今年の年越し本から
- 12月 27th, 2019 - 情動は在るか
- 12月 22nd, 2019 - 見えないものを見るために?
- 12月 17th, 2019 - 環境と主体
- 12月 13th, 2019 - 蓋然論は客観的?主観的?
- 12月 9th, 2019 - 世界のもろさについて
- 12月 3rd, 2019 - 解剖学史
- 11月 29th, 2019 - ガレノス再び――自然の力能
- 11月 23rd, 2019 - アリストテレス生物学の射程
- 11月 13th, 2019 - 写経は難しい
- 11月 1st, 2019 - 外と内とハイブリッドと
- 10月 25th, 2019 - 考えなしの時代
- 10月 18th, 2019 - 帝政ローマ期の自然学
- 10月 15th, 2019 - 混迷の時代に「魂」について語る
- 10月 11th, 2019 - キネクト賛
- 10月 4th, 2019 - イメージ学に(再び)出会う
- 9月 29th, 2019 - 神話化のプロセス
- 9月 22nd, 2019 - このところの設定作業
- 9月 5th, 2019 - アリストテレスと「無限」
- 8月 26th, 2019 - 論理とモノ
- 8月 20th, 2019 - 朱子学の問題機制
- 8月 13th, 2019 - 古代思想と音楽
- 8月 10th, 2019 - 文化遺産のゆくえ
- 8月 7th, 2019 - 分解概念の先鋭化へ
- 7月 31st, 2019 - 行為からの図像論
- 7月 27th, 2019 - テオフラストスの鉱石論
- 7月 19th, 2019 - セレノスの円柱曲線論
- 7月 12th, 2019 - ポストモダンの功罪
- 7月 8th, 2019 - ふたたび、政治と情動
- 6月 25th, 2019 - 享楽と民主主義
- 6月 21st, 2019 - プロティノスの徳論
- 6月 15th, 2019 - トマスとメレオロジーなど